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松本市が「学都」と呼ばれるようになった背景は、江戸時代に寺子屋数が多かったこと、旧筑摩県の時代に「教育」を立県の指針としていたこと、明治時代には市民の浄財をもとに、初等教育の場として旧開智学校が開校されたこと、さらに大正時代には当時の市年間予算を超える巨費を投じて、高等教育の府である旧松本高等学校を誘致し、「学び」を近代的な都市づくりの基軸に据えたことなどにあります。
このように、先人たちが残した思いや財産を大切なものとして継承する中で、学びと文化芸術を尊ぶ松本固有の市民気質が育まれてきたと考えられます。
現在でも、公民館、図書館、博物館等の社会教育施設が充実し、そこでの市民活動が盛んであることや、松本市を拠点とする信州大学や松本大学などの「学生の街」として、「学都」が市民の暮らしのなかに息づいています。