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市長記者会見 令和8年(2026)7月7日

更新日:2026年7月7日更新 印刷ページ表示

記者会見の内容

令和8年7月7日 市長定例記者会見 

 

資料1 戦没者追悼式×平和祈念式典 「戦没者を追悼し平和を祈念する式典」新設

【資料1 戦没者追悼式×平和祈念式典 「戦没者を追悼し平和を祈念する式典」新設】

 

資料2 高校生の“やりたい”を地域の力に「まつもとデジタルギルド」

【資料2 高校生の“やりたい”を地域の力に「まつもとデジタルギルド」】

 

資料3 高校生の“やりたい”を地域の力に「まつもとデジタルギルド」発足式

【資料3 高校生の“やりたい”を地域の力に「まつもとデジタルギルド」発足式】

 

資料4 大人の知的好奇心を満たすアートな自治体ランキング 松本市が総合1位に選出

【資料4 大人の知的好奇心を満たすアートな自治体ランキング 松本市が総合1位に選出】

 

【市長】

 資料1~4に基づき説明

 

【記者】

 平和を祈念する式典について伺います。これまで平和祈念式典はあがたの森公園で行われ、祈念碑周辺を平和広場とするなど、市民が平和を思う場所として取り組んできた経緯もあると思います。今回、まつもと市民芸術館を新たな会場にするということですが、あがたの森公園では今後何も行わないのでしょうか。それとも、何らかの取り組みを引き続き行うのでしょうか。

 

【市長】

 式典という形では予定していません。今回、戦没者追悼式と平和祈念式典を統合して合同で開催する方針を決め、会場を検討する際、戦没者追悼式の参列者には高齢の方が多いことを考慮しました。また、これまでの平和祈念式典も、8月15日の非常に暑い中、テントを張って開催してきました。祈念碑は祈念碑としてさまざまな場面で平和を思い、平和への行動につなげていただくことを市としても意識をし、今後も取り組んでいきますが、式典の会場については、まつもと市民芸術館で開催していきたいと考えています。

 

【記者】

 暑さ対策ということもあるのでしょうか。

 

【市長】

 そのことも意識しました。

 

【記者】

 デジタルギルドについて伺います。実際に形にするところまで高校生が担うのでしょうか。それとも、DigiMATやサザンガクの関係者が開発などを担うのでしょうか。

 

【市長】

 主役は高校生です。今回のMウイングの混雑表示システムは、すでに実証実験を行い、ある程度形になっていますが、実際に運用していく上での課題などを高校生が考え、スタートさせていきます。その際、専門的なアドバイスなどをDigiMATやサザンガクの関係者から受けながら進めていきます。今後、この表示システム以外にも新たに取り組みたいというアイデアが出てきた場合、それを実装できる方向に持っていくため、DigiMATやサザンガクには、常に連携してサポートしてもらう存在になってもらいたいと考えています。

 

【記者】

 Mウイングのシステムは、若者ブレストの時点でほぼ完成しているようにも見えました。7月下旬から実装するということは、デジタルギルドの発足を待たずして、ほぼ実装段階まで来ているということでしょうか。

 

【市長】

 そうです。具体的には、ウェブ上で公開していくプロセスが残っている程度で、15日には秀峰中等教育学校以外の高校生も加わって最終的な調整を行い、7月下旬にはスタートする予定です。また、管理や保守については直ちに必要ではないかもしれませんが、開発したものがうまく運用されていくかといった今後の関わり方についても、この15人の中で整理してもらうことになると思います。

 

【記者】

 メンバーについて、秀峰中等教育学校の5人は若者ブレストに参加していた5人だと思いますが、他の高校の生徒については、どのように募集や声掛けをしたのでしょうか。

 

【市長】

 今回の初期メンバーについては、DigiMATの会員の活動に関わっていた高校生がいたことに加え、若者参画課が今回の取り組みをチラシでPRし、それに応えて手を挙げてもらった人たちなどがメンバーになっています。今回、第1弾のプロジェクトを実施することが決まっていますので、まずはこのメンバーでスタートをし、その上でDigiMATやサザンガク、松本市がサポートする体制をしっかりと確立しながら、広く公募していきたいと考えています。

 

【記者】

 弘法山古墳について伺います。市の発掘調査で、日本最古の古墳の1つとみられるという見解も示されたようですが、市長の受け止めをお聞かせください。

 

【市長】

 令和元年から昨年度にかけて、弘法山古墳の調査事業を実施しました。これは昭和49年に一度行った調査に基づく再調査です。昭和49年の調査では、出土品などから東日本で最も古いクラスの古墳と評価されており、長野県では唯一とのことでした。今回の再調査では、古墳の正確な規模や形を把握するとともに、有識者の指導を受けながら出土品などの年代を改めて調べた結果、従来の評価よりさらに数十年古い古墳であることが分かりました。数十年早いとなると、大和政権の成立より前の卑弥呼の時代と重なることになり、東日本に限らず、西日本も含めた日本全体で最古級、最も古い時代の古墳の1つであることが分かったということです。文化財関連部局では、史跡指定50周年を節目とするシンポジウムを今年12月に開催する予定としており、そこで研究、調査の詳細を説明するとともに、歴史的な意義についても市民や国内外に広くお伝えすることになると思います。現時点で概要を把握している私の感想としましては、日本の文化や政治、社会は、中国や朝鮮半島を経て西日本から伝播してきたというのが歴史的に一致した見解だと認識しており、東日本はどうしても西日本より遅れて発展してきたという時間差があると考えていました。その意味で、今回、卑弥呼の時代に同じような古墳が東日本、しかも長野県の標高の高い山国にもつくられていたことは、当時の先進的な西日本の政権と近い存在が、東日本や長野県にも存在したことを示す1つの傍証なのではないかと受け止めています。標高の高い山国である信州松本周辺で、当時どのような文明が築かれ、どのような社会が営まれていたのか、さらに研究を進め、その詳細を研究成果として皆さんにお知らせできればと思っています。

 

【記者】

 卑弥呼というキーワードも含めて、非常に興味深い歴史だと思います。今回、東日本最古から日本最古という位置づけになったことを踏まえ、松本市として今後、何か活用やPR、資源として発信する考えはありますか。

 

【市長】

 今年から来年にかけて、弘法山古墳、弘法山史跡の再整備に向けた保存活用計画を策定することになっています。今回明らかになった歴史的意義や価値を踏まえ、弘法山周辺を今後どのようにハード面で整備していくのか、またソフト面でどのような情報や資料を発信、提供していくのか、担当課を中心に検討してもらうつもりです。松本城は、戦国から江戸初期にかけての歴史的価値の高い国宝であり、世界の宝だと思っていますが、それに加えて古墳時代にまでさかのぼる歴史についても、多くの人に興味や関心を持ってもらう機会にしていきたいと考えています。

 

【記者】

 松本市の「学都」、学ぶという部分にも歴史がつながるのではないかと思いますが、そういう意味でも重要なものになっていくのでしょうか。

 

【市長】

 そう思っております。

 

【記者】

 弘法山古墳について、市の広報やYouTubeで発信したところ、シンカチャンネルでも歴代トップの数字となり、弊社も紙面、ネットで発信したところ、閲覧者数も非常に多く、コメントもたくさんついて大きな反響がありました。その一方で、「古墳とは何なのか」という指摘もありました。日本の古墳時代の始まりを奈良県の箸墓古墳とした場合、弘法山古墳がそれより前になるのであれば、古墳ではなく墳丘墓ではないかという指摘もあり、文化財課からもそのような話があったと思います。今後も「日本最古級の古墳の1つ」という伝え方をしていくのでしょうか。また、今後の調査や研究について、市としてどのような課題を感じているのか教えてください。

 

【市長】

 後半の質問からお答えします。先ほども申しあげましたが、保存活用計画を策定し、ハード面、ソフト・研究面について今後どうしていくのかを担当部局が検討していくことになっていますので、その結果を見守りたいと思います。前半の質問の「古墳とは何か」ということや、学問的に詰めていった場合にどのような課題があるのかについて、学術的・学問的な見地から松本市としての見解を示す公式な場が、今年12月のシンポジウムになるのではないかと思っています。一方で、歴史はすべてそうですが、さかのぼるほど分からないことが多くあり、分かっていることだけを伝えるとなると、極めて無味乾燥なものになってしまいます。そこに仮説や想像を加えたり、物事を断定的に言わない表現を使ったりする中で、少しずつ物事が分かってきたり、見えてきたりするというのが歴史なのかなと思っています。今回も非常にマイルドに取り上げるということで、広報まつもとやYouTubeチャンネルにおいて、「この程度の話までは伝えよう」ということで発信しました。今後はマスメディアに、よりオフィシャルな報道として取り上げていただき、文化財当局としては、自分たちの総まとめを12月に行うということですので、まずはそれを待っていただければと思います。

 

【記者】

 松本シェーナに関してですが、周辺の駐輪が問題になっています。オープン初日から伊勢町通りの歩道に何十台も駐輪されており、コーンとロープで入れないようにはしていますが、今日見てきたところ、店舗前でもロープを押しつぶして駐輪している状況が見られます。いたちごっこのようになっていますが、せっかく新しい施設がオープンしたのに駐輪を厳しく制限して利用者を遠ざけるのもよくない一方、ルールを守ることも必要だと思います。この駐輪問題に関する市長の認識と、市では「ちょこっとパーキング」を増やすと伺っていますが、今後どのように対応していくのか教えてください。

 

【市長】

 私も日曜日に現場を見に行きました。非常に大勢の高校生が新しい施設を利用してくれていましたが、その一方で好ましくない駐輪状況を招いている面もあると思います。駅前に大きなセブンイレブンができたときも、2階の休憩スペースが広かったことから高校生が大勢訪れ、駐輪が非常に目立ったことがありました。短期的には、少なくとも歩行の邪魔にならず、景観を大きく損なわないよう、商業施設と市が協力して適切な状況に収めていくことに気を配りたいと思います。一方、中長期的に見ると、これまで松本市は自転車を排除というのは少し言葉が強いですが、街なかに自転車で来てもらうための環境整備を積極的に進めてきたとは言えません。私自身、駅前の商店街の生まれですので、年配の皆さんの中には、自転車で商店街の中まであまり入り込んできてほしくないという思いがあり、それが今の時代まで続いてきた部分もあるのではないかと思っています。松本市では交通部に自転車推進課をつくり、できるだけ街なかに自転車で来てもらいたいと考えています。自転車の最大の強みは、自分が用事を済ませる場所まで行けることであり、離れた場所に駐輪場をまとめて整備することも1つの方法ですが、スペースがあるのであれば、できるだけ街の中心まで、そして用事を済ませる場所の目の前まで自転車で行けることが、自転車利用者にとって最大の利便性だと思います。そうした中で、先ほど紹介していただいた数台程度の駐輪場を設置する取り組みについても補助制度をつくりましたが、「ぜひこの場所で駐輪場をつくってもらいたい」と申し出ていただける方をなかなか増やすことができず、結果として、まだまだ止めやすい場所に整然と駐輪できるスペースを十分に提供できていない状況です。「えきしろ空間」では、ウォーカブルなまちづくりとして、できるだけ車の通行を抑制し歩くこと、それ以外では自転車やバス利用を交通手段の主役に切り替えていきたいと考えていますので、自転車をどこに置くのかということも改めて問い直す必要があります。今回、松本シェーナに大勢の方が自転車で買い物や体験に来ています。それを店舗の前だけでなく、通り全体、周辺エリアとしてどのように受け止められる状況をつくるのか、また相当な台数になれば、まとまった駐輪スペースをどう確保するのか、こうしたことを総合戦略局が中心となって、もちろん交通部とも連携しながら今回の問題を中長期的な視点で捉え直し、自転車と共存するまちをつくっていく方策を見いだしていきたいと思います。

 

【記者】

 松本城について伺います。これまで、市川量造が松本城天守を「買い戻した」ということが、定説のようになっていました。しかし今回、松本城整備課の研究専門員による調査・研究で、一度は落札されたものの入札自体が無効となり、買い戻す必要はなかったのではないかという結果が示されました。特に若い世代は、社会科教材の「わたしたちの松本市」などで「買い戻した」と断定的に学んできていますが、今回の研究結果について、市長の率直な感想をお聞かせください。

 

【市長】

 市民タイムスの記事を踏まえて、担当部局に話を聞きました。今回の記事のもとになった明治6年の太政官達では、松本城の城地は落札者から陸軍省の所管になったとされています。私なりに確認したところ、当時の明治政府は全国の城を払い下げる政策を取っており、民間に払い下げる方針でした。しかし、一度払い下げたものの、明治政府はその後、払い下げをやめて自ら所有するという通達を明治5年から6年にかけて出しており、これは松本市の担当部局も通達などの資料を読み込んで把握しています。これが意味するところは、払い下げを受けたAさんが、自分のものになった城を取り壊してしまうかもしれない、だから取り壊されないように守らなければならないと、当時、市川量造をはじめとする松本市民の有志が思ったことで、そのために博覧会を開催して資金をつくろうと行動を起こしたというところまでは、今も間違っていないと認識しています。その間に払い下げられた城が、もう一度明治政府、当時の陸軍省に戻ったところまでは、いろいろな資料を見ると明らかなようです。そうなると、そもそも「買い戻した」という行為は発生していないのではないかということが、今回の主張や見解、そしてそれを掲載した市民タイムスの記事の一番大本だと思います。払い下げはなくなったものの、Aさんは一旦払い下げを受け、つまり城を買い取ったわけですから、そのAさんに「もう一度返してほしい」となった場合、Aさんに何らかの代金が支払われ、それによってAさんが中央政府の陸軍省に払い下げを戻した可能性があります。そうなると、その代金がどういう流れで、誰のお金がどのように動いたのかということがありますので、私は言葉として「買い戻し」という表現は適切ではないと感じています。ただ、博覧会で得た市川量造たちのグループの資金がAさんに渡っていた可能性も排除できないというのが、現段階での担当部局の見解ですので、このあたりの経緯をきちんと整理した上で、現在の松本城のホームページなどに掲載している記述についても、見直しを検討する必要があると思っています。私自身、話を聞く限りでは、例えば小学校の副読本「わたしたちの松本城」で、市川量造が「自分のお金を出し、また人々から寄付を募って松本城天守を買い戻し、取り壊しの危機から救いました」としている部分について、「買い戻し」という言葉をそのまま使うことは、見直した方がいいのではないかと感じています。ただ、市川量造が松本城を取り壊しの危機から救うために行動を起こした中心人物であることは変わらないと思います。その中心人物の行動がどのようにつながり、最終的にAさんに払い下げられていた城がどのような形で明治政府のもとに戻り、そして明治政府のもとに戻った後、取り壊さないという流れが定着していったのかについては、資料による裏付けがなかなかないようです。先ほども申しあげましたが、歴史というのは資料ですべてが裏付けられない部分もありますので、ものの語り口といいますか、事実と異ならない一方で、ある意味では想像をかき立てるような記述を考えていく必要があると思っています。なお、小学校が使う副読本「わたしたちの松本城」は、来年4月に改訂される予定ですので、このタイミングに合わせて記述の見直しを検討したいと思います。その他のホームページなどの記述についても、同じタイミングで適切な内容に見直していきたいと考えています。

 

【秘書広報室】

 以上を持ちまして、市長定例記者会見を終了します。

 

※AIにより文字起こしを行い、編集したものです。実際の発言とは異なる部分があります。

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