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芳川地区

更新日:2023年6月30日更新 印刷ページ表示
 芳川地区は、塩尻市に接する松本市南部に位置し、東側の田川と西側の奈良井川に挟まれた、平坦な土地に住宅街と商工業、農業地帯が混在する地域です。村井町村、小屋村、野溝村、平田村が合併した旧芳川村域ほぼ一致しており、南部に村井町、小屋、長丘町、北原町の町会が、北部には野溝、平田、美芳町、木工の町会が位置しています。地区の中央には、南北に国道19号とJR篠ノ井線が貫く交通の要衝であり、塩尻市と隣接する松本市の南の玄関口となっています。

芳川地区の皆さんへ

松本市から他団体から芳川地区福祉ひろばから芳川地区みなみ福祉ひろばから公民館から  

 

町会会員の皆さんへ

各町会から町会内のグループから

芳川地域づくり協議会から

芳川地区の紹介

芳川地区の歴史

 芳川地区は、松本平の南の交通の拠点・玄関口として重要な位置をしめて来ました。甲州方面、伊那・静岡方面、木曽街道からの人・物の往来の拠点でした。戦国時代には、武田晴信が深志攻略の拠点としました。江戸期に入ると善光寺街道の整備に伴い、「村井宿」がおかれました。
 村井町(小屋を含む)、野溝、平田の各村は、平安時代の史料に登場します。江戸時代に入り新田開発が進むと各村は、水不足に苦しみ、明治5年の四ケ堰完成により、ようやく安定した水利を確保しました。そして明治22年の市町村制の導入に伴い「四ヶ堰で結ばれた4村がますます芳しくなるよう」との想いを込めて芳川村となりました。
 明治35年には、篠ノ井線の開通により村井駅が誕生、昭和29年には、松本市と合併し、その後人口増に伴い美芳町、長丘町、北原町、木工町が誕生し、現在に至っています。
四ヶ堰

地区の資源

 歴史文化遺産としては、平田・本郷遺跡、小屋・小原遺跡、近世の小屋城址、村井宿関連史跡(脇本陣、高札、番所跡)、近代では松本文化遺産に認定されている四ヶ堰円筒分水関連施設があります。
 神社では、旧4村にそれぞれ村井神明宮、都波岐神社、野溝諏訪社、平田神社が、寺院では村井町に常照寺、小屋に泉龍寺、野溝に松岳寺があります。
 芳川地区は、全国初の緑濃住区開発を行った地区で、平成18年に組織化された農業生産法人(有)芳川営農が農業の担い手となっています。
 伝統産業としては、野溝の箒づくりがあります。一時後継者不足が危ぶまれていましたが、令和5年に野溝箒振興会が発足し、伝統の継承に取り組んでいます。
 地域の発展を支える資源として、交通インフラの充実があります。国道19号、環状高家線が地区内を通り、塩尻北ICに近く、JR篠ノ井線の村井、平田の両駅が地区内にあるのが芳川の強みです。
芳川地区の風景

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