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【シーズン開幕前特別対談】名波浩監督×臥雲松本市長 ※全文

更新日:2022年2月21日更新 印刷ページ表示

【シーズン開幕前特別対談】名波浩監督×臥雲松本市長の画像

 「共に走れ 戦え山雅 勝利目指し 緑の勇者」。
 大勢のサポーターは、コロナ禍でチャントを歌えなくても、手拍子で応援を送り続けました。その熱い想いと期待に、松本山雅はどう応えて巻き返しを図るのか。
 昨シーズン途中から指揮を執る松本山雅FC名波監督に、大のスポーツファンで政治記者歴28年の臥雲市長が話を伺いました。

※対談は、新型コロナウイルス感染予防対策を徹底した上で行いました。
※広報まつもと2022年2月号に、対談の一部を掲載しています。

松本山雅から監督のオファーがあったとき、どう受けとめたか。

名波監督(以下、(名))ジュビロ磐田の監督退任後の2年間には、他のクラブからも話をいただいたこともあったのですが、タイミングや条件面の折り合いも含めてうまく進みませんでした。そんな中、松本山雅から話をいただき、とんとん拍子で進みました。
 所属する選手たちのクオリティーやパーソナリティーを考えながらでしたが、クラブが持っている将来的ビジョンや地域密着理念に大きく共感しました。
 あと、自宅のある浜松市から車で行ける距離ということも大きなポイントでした。3時間半程かかりますが、ぎりぎり妻が運転して子どもたちを連れて来られます。
臥雲市長(以下、(臥))私自身が6年前に市長になろうと戻ってきたときは、山雅はJ2で3位で、地方都市ではなかなか見られない熱狂を作っていました。
 一方で、名波さんのサッカーの経歴を考えたときには、ポジションが下がるのかなって思いましたが。
(名)いや全くそんなことは思わなかったです。中学まで藤枝市で生まれ育って、高校は当時の清水市に越境入学、それから大学も筑波や早稲田が強かった中で、順天堂大学を選ぶ。ジュビロ磐田でも優勝を何回かさせてもらった後に、あっさりイタリアに行く。新しいものをすぐ自分の中で取り入れたり、取り組んでいかないと、自分自身が駄目になるというか、惰性で過ごしてしまう、そういう環境が好きじゃなかったので。
 4男坊で自由にさせてもらったという意味では、血というか、そういうこともあったと思います。
(臥)松本市民の気質を私なりに分析すると、山に囲まれていて一見閉鎖的ですが、新しいもの好きでもある。松本城はずっとあったので、その周りに物や情報が集まってくるというようなことが一番ベースにあると思います。新しいものを、できれば貪欲に取り入れたいけれど、どこか引っ込み思案だったり、閉鎖的だったりするところもありますが、そこがせめぎ合うようなまちが松本なのかなと。なので、名波さんが新たな挑戦の場として、松本を選んでいただいたとすれば、それは非常にフィットするんじゃないかなと思います。

静岡出身の名波監督から見て、松本市民の気質をどう感じているか。

(名)松本山雅を支えてくれる熱量は、自分の子どもや孫のような感覚で見ていただいていると強く感じています。まちでかけていただく言葉には、厳しさの中にも温かさがあります。昨年の結果でも、また次頑張ろうという声はいつもかけてくれたので、ものすごく自分の力にもなりましたし、明日への力にしていかなきゃいけないなと感じました。

昨シーズン途中で合流したときの、シーズン終了のイメージは。

(名)何勝という数字はもともと掲げていて、これぐらい勝てば、これぐらい引き分けるという逆算がありました。けがから復帰した選手や不調だった選手をどうにか復調に持っていく。夏場の暑い時期なので、体も動きますし、アクティブに自分自身が動けるような体制を何試合かのスパンで作っていこうという高いモチベーションしかなかったです。
(臥)「順位は上よりも下との距離が近いので、まずはそこから脱する」とおっしゃっていたと思います。
(名)そうですね。メディアの方からも最終的に何位を目指すかという質問もありましたが、最初から最後まで残留争いということを最初に公言したので、その可能性があるなら、後ろを見なければいけないということは、内外に伝えていましたね。

就任時からシーズン終了まで、もし誤算を感じたところがあったとすると。

(名)前所属クラブ時代にいつもスタッフに強く言っていたのは、勝負時は9月・10月。ということは、1月から始まるキャンプでの体づくりって意味では、4月・5月でけが人を生み出せと。そこで必ず9月・10月に彼らは戦力になるというふうにやってきたんですが、そう意味では9月・10月にけが人が出てしまったので、そこが1つ大きな誤算だったと思いますね。

「チームに謙虚さやリスペクトの概念がないことが信じられなかった」という厳しいコメントがあった。実際、指揮を執った前後で落差があったか。

(名)選手たちには、相当厳しい口調で、同じようなことを伝えました。ホワイトボードに「謙虚さとリスペクトさ」と「耳」と書きました。まず「謙虚さとリスペクトさ」は、監督やコーチ陣にではなくて、選手同士の謙虚さ。従順じゃなくてもいいですが、しっかりと受け入れる「耳」さえ持っていれば、もしかしたらプレースタイルが変わったり、その局面が劇的に変化する可能性もあったりしたにもかかわらず、そういうマインドにならなかったというのはあります。
(臥)実際、名波さんが向き合った現実は、「かつては山雅にあったのに、なくなってしまった」なのか、それとも「そういう部分が実は山雅にあった」なのか、どちらの認識ですか。
(名)反町さんが作り上げたチームは、組織力それから理解力。こういったものを重点的に選手たちにしっかりと投げかけて、選手たちはそれをピッチそれからオフザピッチでも、しっかりとはね返してきた、そういうチームづくりをしてきたんじゃないかなと。それを見聞きした中で就任したので、そのギャップは非常に大きかったなと思いますね。
(臥)それは、今聞けばなるほどと思う部分は、反町さんのもとで2回J1に上がり、反町さんが退任したあと、一体どこに山雅が向かうのかというのは、実はフロントもサポーターも、あるいは我々のような立場も、どこかふわふわしたところがあったなあと思います。そのふわふわ感がチームの結果にも表れたし、いま話を聞いたところでは、個々の選手にもそうした姿勢が出てきてしまったということで、現実にまず向き合わなきゃいけないことの1つだと感じます。

11月28日の相模原戦で降格が確定した瞬間を、どう自分の胸に叩き込んだか。

(名)「来年、見返してやるぞ」と強く思いましたね。というのも、その日は私の誕生日でした。なので、神様に向かって「誕生日に降格させるって、なかなかやるな」と一言つぶやきながら、そんなことを思いましたね。

「走る。諦めない。声を出す。躍動する。」は、今シーズン、山雅の一番ベースになるような部分を、言葉で表現したものか。

(名)市長も試合に来ていただいているので感じていると思いますが、サポーターが共感することはそういうところじゃないですか。
(臥)そうですね。
(名)特に山雅は、そこから勝ち上がってきたチームだと思うので。そこが薄れていたのが、昨年それから一昨年のシーズン。もう1回取り戻すためのトレーニングとコーチングをしていきたいと思っています。
(臥)確かに最後の5試合ぐらいは、勝てなかったですが、ファイティングスピリットは出てきていました。しかし、その前の10試合は、点のとられ方も同じことやってるよって、素人が見ても士気が下がるという悪循環でした。それをたたき直すのは、容易じゃないところもあるかなと思うんですが。
(名)昨シーズンの半シーズンで、名波浩という人間のパーソナリティーを選手たちが理解したと思うので、それを超えるような指導法をやっていこうと思っています。選手たちがこれぐらいと思う(名波監督の)キャパをしっかりと飛び越えられれば、選手も自分たちの能力をもう1回見つめ直して、もう1つ2つ上にもレベルアップしてくると思います。そういう相乗効果を生みながら開幕に向かいたいなと思っています。

「ボランチとセンターバックのポジションがチームの中心で腕章を巻く(キャプテンマーク)選手となり、その選手は試合でも途中交代しない存在」。これは、昨年の山雅はそうなってなかったということか。

(名)佐藤選手がやっていましたが、彼自身は責任も十分に感じていましたし発信する言葉も力強さがありましたが、選手交代が5人まで可能なルールの中では、フィールドプレイヤーの半分が交代するので、腕章を巻いている選手もよく変わります。僕の気持ちとしては、腕章を巻いた選手は90分出続けて欲しいということに、強い思いがあります。
(臥)名波さん自身は、ずっと腕章を巻いていましたか。
(名)いや、ほとんどないです。中学校、大学の時だけです。
(臥)ジュビロ磐田時代は、司令塔のポジションでしたが、キャプテンではなかったですか。
(名)キャプテンや副キャプテンがけがをして、もう他にいないときに腕章を巻いたことはありましたが、あまり腕章を巻くのが好きじゃなかったですね。
(臥)それは、ご自身がキャプテン気質じゃないという自覚があったんですか。
(名)キャプテン気質だとは思っていますが、巻かなくても、勝敗の責任は俺が取るよとずっと公言していたので。
(臥)サッカーにおいての中心的な役割をすることが、名波さんにとってのキャプテンシー。山雅の場合は、腕章を巻きながら中心になる存在を作っていこうということですか。
(名)そうですね。反町さんがそういうチームを作ってきたと思うので。そういう選手って、なかなか1年じゃそうならないです。これは、普通の社会でも学校でも、そうかもしれないですが。

「野球でいえば打率2割8分5厘から2割9分5厘の数字を目指せる攻撃」との発言の真意は。

プレーヤー名波が客観的に監督名波を見たら、どういう評価をするか。

(名)僕という人間を知っている選手がいれば、もっと選手に細かく、自分のキャリアも含めて伝えていいんじゃないかって言うと思うんですが。市長はどうですか?「俺の頃は」と伝えても、いまの子たちは時代が違うとか、自慢話だよってなっちゃうので、ずっと言ってなかったんですよ。
(臥)「昔はよかった。俺の時代はこうだった」これ、全くナンセンスですよね。
 市長として職員に方針を示して動いてもらう意味では、監督と共通点もあると思います。私は職員に対して、松本市役所と霞が関の中央省庁を比べることがあります。役割分担はありますが、今は国・県・市の関係がフラットになってきて、スケールは小さいけど、仕事のクオリティーは中央政府に負けないようにやっていかなきゃいけない。
 なので、名波さんが代表チームや海外でプレーしてきた経験や知見を、山雅に導入したり、選手に示したりされているのかなあと思っていたんですが。
(名)チームの解団式のときに、厳しい言葉で言ったんです。そこで指導者史上初めて出したんですよ、自分のキャリアの話を。
(臥)それまで出さないでおこうと思っていた真意は。
(名)時代が違うとか自慢話だって思うんだろうなという、ちょっと勘違いかもしれないですけど。市長がおっしゃった、比較対象さえ間違えなければ、どんどん発信してもいいのかなっていう気に、いま、なっています。
(臥)素人の立場から僭越ですが、ぜひやっていただきたいです。
 松本は、まちとしてそこそこの条件が整っていますが、それで良しとするか。同規模のまちで行われていることは取り入れ、さらに超えていくようなものを市民に提供すべきじゃないか。もっといえば、東京と違う価値感で東京に対峙するクオリティーを目指すべきじゃないかと。そのためには、一流の人の経験や知識、情報を、私たちは貪欲に取り入れなきゃいけない。
 名波さんには、プレーヤーとして指導者としての一流の経験を、ぜひ山雅に注入していただきたい。受け入れる側が誤った受け止め方をしなければ、必ずプラスになると思うので、そういう意味で少し抑制的にあり過ぎたことも、もしかしたらチームの降格につながったのではないかと、お話を聞いて感じました。
(名)そうですね。気持ちを強く持って、積極的にトライしたいと思います。

「いつも笑っていられる、楽しくサッカーに向き合う」という言葉は、自身のどんな背景で使ってきたか。

(名)私は4歳の誕生日プレゼントで初めてサッカーシューズをもらって、それを枕元にずっと置いて寝ていました。それを履いて、いつもカツカツとアスファルトを歩きながら、農協の駐車場で壁にボールを当ててずっと蹴っていたんです。あの時の楽しさは、最終的にプロで引退するまで、もちろん苦しいときも、それから悲しい結果も、見苦しいプレーも何度も見せてきたと思いますが、基本的にはその楽しさを忘れずに、withボールじゃないトレーニングの時も、やってきたつもりです。選手たちにも、小さいときにサッカーを始めたときに思ったことを忘れてほしくないです。支えてくれる仲間や家族がいて、カテゴリーが上がるごとに、感謝すべき人たちがどんどん増えてきている。そういった環境の中で、選ばれしプロリーグでやれていることを噛みしめるという意味では、変な緊張感よりも楽しさやエンジョイというものを常に持ってやってほしいなと今でもずっと思っているので、選手たちに最後まで伝えていきたいです。
(臥)大谷翔平があれだけ楽しそうに、言葉も完全ではないのに選手同士でコミュニケーションをとっている姿は、見ていて楽しくなる。それが本当のスポーツをする姿だと思います。なので、その厳しさと楽しさの両立ってできますよね。
(名)そうですね。今年の箱根駅伝の青山学院大学の原監督が車から選手にかける言葉を聞いていたら、「笑え笑え、楽しめ!」ってずっと言っていたので、ものすごく共感しました。多分彼らもどこの大学よりも厳しいトレーニングをしていると思いますが、最後に笑ってゴールできて、記録よりも、その印象が僕には残ったので、選手たちに伝えたいなと思っています。

松本山雅の施設面や練習環境は、J2リーグの水準としてはどう感じるか。

(名)J2の中では、真ん中ぐらいだと思います。クラブハウスは多大な寄付をいただいて作っていますし、グラウンドも可能な限り利用させていただいています。欲をいえば、人工芝は腰や膝に相当な負担がきてしまっているので、天然芝で常に練習したいなということを、僕は市長にお願いしたいと思います。アルウィンのサブグラウンドを含めて、天然芝の利用頻度をあげていただければいいなと思います。
(臥)ボールを使った練習を天然芝の上でやりたいということですよね。
(名)そうですね。J3の藤枝MYFCは、多目的広場的な感じで、誰もが24時間入れるような形でやっています。
(臥)よく川淵三郎さん(元チェアマン)がJリーグ百年構想の理念でおっしゃっていましたよね。緑におおわれた芝生の上で誰もがスポーツを楽しめる環境を全国につくりたいと。名波さんがおっしゃったのは、そういう芝生のフィールドのことですよね。
(名)そうですね。特に静岡県は、その数が圧倒的に多いですし、僕がジュビロ磐田のアドバイザーをやっていたときは、磐田市内の小中学校の校庭を全校芝生化しようとしていました。それは、子どもたちが外で遊ぶことや裸足で芝生のグラウンドで遊ぶというような教育方針もあると思います。
(臥)私はかりがね周辺を、建屋みたいなものを作るのではなくて、幅広い年代層が、芝生の上でサッカーやラグビーその他のスポーツもできるような場所にしていきたいなと思っています。市では、今年作る都市計画のなかで、かりがね周辺を、「健康・スポーツ地区」とうたっているので、これから具体化してきたいと思っています。静岡に芝生の文化が広がっているという名波さんの話は、私にとっては非常に刺激になる内容です。現実にやっているまちがあるなら、どうやって実現可能にしているのか方法論や予算を参考にさせていただきます。
(名)聞かせていただいた構想も素晴らしいと思います。

今シーズン開幕までに、絶対やっておかなければいけないことは。

(名)選手たちには、「潰しに行くぞ」と言っています。昨シーズンの春先のキャンプがうまくいかなかったことが、最終的にけが人が出てしまったことの大きな理由だと思います。僕が就任した半年でも、片手じゃ収まらない肉離れの数、関節のけがを合わせたら15症例ぐらいあって、ありえない数字なんです。年間通して10から12がちょっと多かったねっていう感じだと思います。体づくりが足りなかったのは、十分に感じています。

今シーズンの目標は「最高でも最低でもJ2昇格が大きなミッション」。この表現に込めた意味とは。

(名)前所属クラブの時にJ1に昇格した瞬間、あの感動って、自分はプレーヤーではないのに、ものすごく想像より大きく感じたんですよね。泣くかなと思いましたが、ぎりぎり踏みとどまったんですけど、それぐらい1年間の苦しさ、苦楽を共にした仲間たちと喜び合える感動は、カテゴリーは関係ないなと思ったので。
 J2に昇格するときも同じように喜び合いたいなという意味で、“最高でも”“最低でも”は、昨シーズン苦しんだ、いろんな方々に叱咤激励を受けながら残留できなかった、という反省の意味でも、その目標を考えました。

山雅の3年後、5年後はどういうクラブに成長している、あるいは成長していくべきか。

(名)信州のサッカー熱はやっぱり山雅ありきだと思うので、山雅が上のカテゴリーにいることは絶対条件だなと。ただ、上のカテゴリーにいなくても、このクラブに魅力がある、応援しがいがあると思ってもらうには、まずピッチ上の選手たちが躍動することや走り切ることをやらなきゃいけない。その中でサポーターが1人ずつ(友人や家族をサッカー場に)連れてきてくれれば、応援の度量も上がってくると思います。
 プラスして、東京を中心とした大都市に山雅を応援してくれる人や企業を生み出せるような、労力として非常に大きいと思いますが、そんな魅力を3年後5年後に作っていければいいなと思っています。
(臥)J1にいたのは2年でしたが、大都市のビッグクラブの中に山雅が存在することの意味は非常に大きかったと思います。チーム力には差があるので、何とかしのぎ切るような試合が多かったですが、体を張って、対抗する姿は、まちに勇気を与えました。それは、これからのクオリティの時代に、松本のまちが目指していきたい姿とも重ね合わせられます。
 松本のひとつの象徴が、松本山雅というサッカークラブです。できればビッグクラブと戦う舞台で、山雅のチャントを歌いたいですし、一番の醍醐味ですので、ぜひ今年のミッションを果たしていただいて、その先にも希望や展望が見えるシーズンにしていただきたいと思います。

名波監督から質問はありますか。

(名)僭越ながら広報まつもと1月号の新年の市長のご挨拶を読ませていただきましたが、少子高齢化の中で24万人の市民を維持するという意味では、松本市の魅力を全国にどれだけ伝えるかによって移住してくる方が増えると思います。静岡県は、温暖で海も近いので、特に東部の三島や沼津エリアは結構人が増えていますが、松本ではどう取り組んでいるのか興味深いです。もう1つは、松本城というシンボル。いまレーザーマッピングをやっていますが、観光スポットというより散策も含めたプレースポットになっているかなと思っているので、これをどうしていくのかなということも考えさせられた、興味深い文章でした。
(臥)ありがとうございます。日本の少子高齢化という政治的課題が、どうしてもお年寄りの問題をまず第1にというような形にこの10年、20年はなっていたというのが、自分の記者としての見方です。
 少子と高齢化って言葉が一緒になることで、少子の方にあまり目がいかず、どちらかというと高齢化の方に政策の重心が傾いていました。その重心を何とか若返らせたい。自分が市長になった一番大きな理由です。子どもや若い世代、現役世代に活力が出て社会が回れば、結果的に高齢化の問題の改善・解決につながります。子どもや孫の世代が豊かさや幸せを実現できることが、自分たちにとっても幸せだと思うので、そこへの目の向け方を考えながら、ちょっと強めに舵を切っています。
 松本城のレーザーマッピングで一番うれしいのは、訪れる人たちに家族連れかカップルが圧倒的に多いこと。松本のような地方都市で、ちょっとおしゃれで、誰か誘って美しい光景を見て、食事してお酒飲んで帰ろうということにつながっていることに、ヒントをもらった感じがしています。県内の若い世代が、東京に遊びに行くのと似た感覚で、松本のまちなかに行くと楽しいしワクワクする、そういうエリアにしていくことを、まちづくりの1つの目標にしたいと思っています。
 山雅の話に戻れば、そうしたまちづくりのいい意味での強烈なスパイス。山雅の活躍や選手の一生懸命ぶりが、松本の活力になります。
 私はまちづくりに取り組み、若い世代、多世代が集まってくる松本にしていきたいと思いますので、ぜひ名波さんは一流の経験を山雅という存在を通じて松本に浸透させていただきたいと思います。
(名)頑張ります。
(臥)今日はありがとうございました。

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