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発掘された松本2019

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

年号が変わってはじめての報告会は、令和2年2月11日(火曜日・祝日)に松本市勤労者福祉センターで開催されました。
212人の考古学ファンの方が参加しました。

報告その1 波田で発見!縄文文化の足跡

上野遺跡第1次発掘調査

上野遺跡は縄文時代の集落跡で、波田地区の東部、松本電鉄上高地線の森口駅の北東にひろがる遺跡です。
今回の発掘調査では、縄文時代の竪穴住居跡と土坑など、集落の遺構が確認されました。土坑のひとつからは、深鉢が残りのよい状態で出土しました。
遺物は、縄文時代中期中葉から後期(約5000~3000年前)の土器片が出土しており、長い期間、人々がこの遺跡で活動していたことが分かります。

報告その2 中心街に眠る大武家屋敷~池の土全部掘りました!~

松本城三の丸跡大名町第3次発掘調査

江戸時代、大名町には、松本藩で重職に就く家臣が広い武家屋敷に住んでいました。今回、2023年(令和5年)にオープンする新しい松本市立博物館の建設予定地を発掘したところ、その武家屋敷の跡が確認されました。屋敷跡には池や畑と考えられる遺構があり、家主が交代することに伴う建て替えや敷地面積の変更があったことも分かりました。

報告その3 武家地の下から現れた中世の祈りの形

松本城三の丸跡土居尻第11次発掘調査

大名町と同じ三の丸跡の土居尻で行われた今回の調査では、主に近世(江戸時代)・中世の遺構・遺物が出土しました。
近世の遺構からは、建物の基礎やゴミ穴などが見つかり、当時の人びとの生活ぶりが分かりました。
一方、中世の遺構からはこけら経と笹塔婆という祭祀の道具が多く出土し、松本城築城以前のこの場所に、寺院のあった可能性が浮かび上がりました。

報告その4 先端技術が森に隠された古墳の姿を浮き彫りに

弘法山古墳と周辺古墳群測量調査

弘法山古墳は、昭和49年(1974年)の発掘調査で東日本最古級の前方後方墳と分かり、昭和51年に国史跡に指定されました。しかし、この時の調査は後方部(頂上付近)の石室を主体とした限定的なもので、古墳の正確な形や大きさ、墳丘表面や盛土の状況など未解明の部分が多くあります。
弘法山古墳の再整備に必要なこれらの情報は、現在の古墳の姿を把握し、発掘調査などで徐々に時代をさかのぼって解明していく必要があります。今年度はその第一歩として、弘法山古墳と、その周辺の棺護山古墳群・中山北尾根古墳群の測量調査を行いました。

講演会 「中近世の治水・利水遺構と土木技術」

講師:帝京大学文化財研究所 客員教授  畑 大介 先生

近年の松本市内の発掘調査により、松本城や殿村遺跡などで、中近世の大規模な土木事業の痕跡が明らかになってきました。こうした遺構と、そこで培われてきた土木技術について、畑先生が、近隣各地の事例を多く交えながら解説してくださいました。

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