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旧松本高等学校

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)きゅう まつもと こうとうがっこう

  • 指定等区分 重要文化財
  • 指定年月日 平成19年6月18日
  • 種別 建造物
  • 所在地 松本市県3-1-1
  • 所有者 松本市
  • 時代区分 大正時代

自由な校風、斬新なデザインの木造洋風校舎

校章にこめられた「九高」への思い

旧制松本高等学校は大正8年(1919年)に、旧制松本中学校東校舎を仮校舎として開校し、翌年に校舎が現在の地に開校して移りました。開校にあたっては、それまで国立の高等学校の8校が第一から第八までの、いわゆるナンバースクールであったので、八高に次ぐ九高として開校したいとの地元の強い願いがありました。しかし、国の方針により地名が冠された松本高等学校という校名となりました。旧制松本高等学校の校章には、9本の放射状の線があしらわれており、ここにも当時の人々のナンバースクールへの強い思いがうかがえます。

大正時代の洋風建築の代表例

重要文化財に指定されている本館・講堂の建設工事は、本館が大正9年(1920年)、講堂が大正11年(1922年)に竣工しました。本館・講堂は、明治時代中期における旧ナンバースクール高等学校建設の後を受けて、大正時代前期に高等学校が飛躍的に増設された時期の建築様式の代表例です。これは西洋建築様式を簡略化して木造建築に応用したもので、日本の公共建築に多く用いられました。大正時代前期の木造洋風建築例としては規模も大きく、保存も良好です。学校教育史及び学校建築史の上でも、大正時代前期の旧制高等学校の状況を良好に伝えています。

キャンパスから市民の学びの場へ

戦後の学制改革で旧制松本高等学校は信州大学となり、昭和48年(1973年)3月まで使用されました。昭和52年(1977年)には松本市がこの校舎を購入しましたが、当初は南校舎部分を解体する予定でした。しかし市民団体からこの校舎が貴重な財産であり、社会教育面での活用をはかってほしいとの要望がありました。これをうけて松本市は校舎を公民館・図書館・博物館(旧制松本高等学校記念館)を含んだ「あがたの森文化会館」として保存・活用することとしました。平成5年(1993年)には校舎に隣接して新たに旧制高等学校記念館が開館しました。旧制松本高等学校をはじめ全国の旧制高等学校に関連した資料が展示されており、当時の自由な校風をうかがうことができます。
現在では、あがたの森文化会館として生まれ変わった校舎は市民の生涯学習活動の拠点となっています。かつてのキャンパスは、「あがたの森」の通称で親しまれ、市民の憩いの場となっています。


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