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島内北方遺跡・島内南中遺跡 1984年(昭和59年)
平安時代後半から中世にかけてのムラ
松本市島内地区の南部には、島内上平瀬遺跡・島内北方(きたがた)・島内北中(きたなか)・島内南中(みなみなか)・島内高松の各遺跡が連なるように存在し、「島内遺跡群」と総称していました。
以前紹介した昭和58年(1983)の調査に続き、翌昭和59年(1984)にもほ場整備事業にともなう発掘調査が行われました。
この調査は島内北方遺跡の長野自動車道東側と、島内南中遺跡の島高松駅南東側にあたる地点で進められました。
調査の結果、島内北方遺跡からは、平安時代後半が3軒、平安時代末が2軒、中世が1軒の合計6軒の竪穴住居跡と、土師器・灰釉陶器などの生活用具が出土しました。
一方、島内南中遺跡では、自然形成と考えられる溝跡と土師器・須恵器などの小破片が出土しただけで、住居跡などの生活跡は見つかりませんでした。
カメラでパチリ!
上空から見た調査地(島内北方遺跡、写真右が北)
灰釉陶器(第5号住居跡出土、墨書がある)
調査風景
発掘調査報告書
『松本市島内遺跡群 北方遺跡・南中遺跡 緊急発掘調査報告書』<外部リンク>
松本市文化財調査報告36
松本市教育委員会 1985年
※書名をクリックすると奈良文化財研究所の「全国遺跡報告総覧」にリンクします。
場所を地図で確認
※地図をクリックすると「松本デジタルまっぷ」の「遺跡地図」にリンクします。
Facebook掲載(初出)
2023年6月14日