本文
島内南中遺跡 1983年(昭和58年)
石積みは御堂の跡?
島内地区の南部には、島内上平瀬遺跡・島内北方(きたがた)遺跡・島内北中(きたなか)遺跡・島内南中(みなみなか)遺跡・島内高松遺跡の各遺跡が連なるように存在し、かつては「島内遺跡群」と呼ばれていました。
この地域では、昔から土器などが多く拾われたことから、遺跡の存在が知られていました。
昭和58年(1983)ほ場整備事業にともない、初めての本格的な発掘調査が行われました。
調査は、遺跡内の3地点で行われました。
このうち、島内小学校西側の第3地点では、中世から近世にかけてのものと思われる、約60×30メートルに及ぶ大規模な石積み状の遺構が見つかりました。
周辺の小字に「古御堂」「堂前」といった名前があることから、ここにはかつて御堂が存在し、石積みはその敷地範囲を示すものではないかと考えられています。
今後、古文書等の研究が進めば、その正体が明らかになるかもしれません。
カメラでパチリ!
発掘風景
発掘風景
石積みの遺構(第3地点)
発掘調査報告書
『松本市島内遺跡群 緊急発掘調査報告書』<外部リンク>
松本市文化財調査報告31
松本市教育委員会 1984年
※書名をクリックすると奈良文化財研究所の「全国遺跡報告総覧」にリンクします。
場所を地図で確認
※地図をクリックすると「松本デジタルまっぷ」の「遺跡地図」にリンクします。
Facebook掲載(初出)
2023年4月13日