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南栗遺跡 北栗遺跡 高綱遺跡 新村・島立条里的遺構 1984年(昭和59年)

更新日:2023年8月9日更新 印刷ページ表示

大規模集落跡の調査再び

島立地区の南栗遺跡は、昭和58年(1983)の発掘調査に続き、翌昭和59年(1984)にも、ほ場整備事業にともなう発掘調査が行われました。
その範囲は大きく拡大し、奈良井川西岸の南栗遺跡・北栗遺跡、高綱遺跡(当時の名称は高綱中学校遺跡)、長野自動車道西側一帯に広がる新村・島立条里的遺構の各所で行われた調査の総面積は約39000平方メートルに及びます。

南栗遺跡・北栗遺跡では、竪穴住居跡96軒、掘立建物跡15軒が出土し、古墳時代末から平安時代の末まで集落が営まれていたことが分かりました。
このうち、奈良時代の75号住居跡からは、紙が付着した珍しい須恵器が出土しました。
紙には文字が書かれており、奈良国立文化財研究所で調査したところ、「月」「大」の文字が確認されました。
これ以上の文字は判明しませんでしたが、暦に関係する内容が書かれていた可能性があります。
また、壊れた器を再利用するため、漆で接着した跡が残る須恵器も出土しています。
そのほか、中世の竪穴状遺構・土坑・ピットも多数見つかり、この時代には一部が墓域となっていたことがわかりました。

高綱遺跡では、掘立建物跡4軒、竪穴状遺構1基が出土しました。
土師器、須恵器、灰釉陶器などの遺物から、奈良時代末から平安時代末期にかけての集落と考えられます。

新村・島立条里的遺構では、総延長1570mに及ぶトレンチ7本が掘られ、地層の断面から条里遺構を観察する調査が行われました。
9世紀から11世紀にかけての住居跡が16軒出土しましたが、条里的遺構の存在は確認できませんでした。

カメラでパチリ!

上空から見た南栗遺跡・北栗遺跡
​上空から見た南栗遺跡・北栗遺跡

紙の付着した須恵器(75号住居跡出土)
​紙の付着した須恵器(75号住居跡出土)

発掘風景
発掘風景

 

​発掘調査報告書

『松本市島立南栗・北栗遺跡、高綱中学校遺跡、条里的遺構 緊急発掘調査報告書』<外部リンク>
松本市文化財調査報告35
松本市教育委員会 1985年

※書名をクリックすると奈良文化財研究所の「全国遺跡報告総覧」にリンクします。

場所を地図で確認

南栗遺跡・北栗遺跡<外部リンク>

※地図を​クリックすると「松本デジタルまっぷ」の「遺跡地図」にリンクします。

Facebook掲載(初出)

2023年6月8日

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