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推定信濃国府(第2次) 1983年(昭和58年)
更新日:2023年8月9日更新
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続・信濃国府はどこにあったの?
信濃国府は、平安時代に小県郡から筑摩郡へ移転したとされています。
しかし、その所在地は現在に至るまで特定されていません。
昭和50年代に行われた国府探索の学術調査は、昭和57年(1982)の第1次に続き、昭和58年に第2次調査が行われました。
第2次調査は、第1次調査地点から50mほど北の、宮北遺跡の範囲内で行われました。
調査の結果、平安時代末期の竪穴住居跡2軒と、コの字状に巡る幅1.5mの溝が発見され、土師器の坏や緑釉陶器が出土しました。
また、惣社・大村の国府推定地一帯における分布調査も行われ、土師器、須恵器などが表面採集されました。
しかし、この調査においても国府を確定する手がかりは得られず、その所在地を確認することはできませんでした。
カメラでパチリ!
発掘風景
分布調査(惣社地籍での表面遺物採集)
発掘調査報告書
『推定信濃国府 第2次調査報告書』<外部リンク>
松本市文化財調査報告33
松本市教育委員会 1984年
※書名をクリックすると奈良文化財研究所の「全国遺跡報告総覧」にリンクします。
場所を地図で確認
※地図をクリックすると「松本デジタルまっぷ」の「遺跡地図」にリンクします。
Facebook掲載(初出)
2023年4月26日