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里山辺かるた「も」
更新日:2026年10月21日更新
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木食三居上人(もくじきさんきょしょうにん)は明暦(めいれき)元年(1655)に今の新井町会にうまれた高僧(こうそう)と伝わります。13歳の折、誤って女児を死に至らしめたのを悔い、念来寺(ねんらいじ)で修業を積み「民衆救済のため火食を断ち、木食行・単衣行の難行苦行を自らに課し、千体仏・万体仏の造彫を志した仏聖(ぶっせい)」といいます。最後は大町の弾誓寺(だんじょうじ)において68歳にして入定(生き仏)して果てたとのことです。この山辺の地にも『木食仏』と伝わる高さ20~30cmの仏像が30体近く確認されています。

よもやま話(里山辺出身の高僧 木食山居上人のこと)
明暦元年(1655)、今の新井町会に生を受けた木食山居上人は、13才の折、誤って女児を死に至らしめたことを悔い念来寺において修行の道に入ったと伝わります。
木食上人の修業は、火食を絶ち《木食行単衣行》という厳しいもので、民衆救済のため「生涯に千体仏・万体仏を刻むこと」を自ら課していたそうです。
上人の造彫した仏像は細身で素朴ですが、何とも言えない温かみがあります。この山辺の地でも、高さ20~30cm程の仏像が30数体確認されています。
最後は大町の弾誓寺において68才で入定(生き仏)されたとのことです。
木食上人の修業は、火食を絶ち《木食行単衣行》という厳しいもので、民衆救済のため「生涯に千体仏・万体仏を刻むこと」を自ら課していたそうです。
上人の造彫した仏像は細身で素朴ですが、何とも言えない温かみがあります。この山辺の地でも、高さ20~30cm程の仏像が30数体確認されています。
最後は大町の弾誓寺において68才で入定(生き仏)されたとのことです。

