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里山辺かるた「へ」
更新日:2026年10月9日更新
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薄川の左岸、金華橋寄りの堤には盆栽を見るような見事な枝振りの松の大木が並木をつくります。文政3年のこの地を描いた絵図面では、この辺り一面が松原であったことが伺えますので、その名残の松と思われます。かつて何本かの松が枯死した折、年輪を調整した人の話によると、「多分230~250年ほど年を経た木だろう」(平成21年現在)とのことです。いずれにしても素晴らしい景観をかもし出している松ですのでこれからも大切にしたいものです。市の保存木に指定されています。

よもやま話(薄川堤のシンボル「名松」のこと)
『里山辺かるた』が完成したとき、9本の素晴らしい松の古木が亭々と聳(そび)えていました。
しかし、その後僅か6年ほどの間に松くい虫被害で次々と5本が失われてしまいました。
切り株の年齢を数えると、いずれも220~250年を経過していました。松は恐らく幾多の洪水、強風に耐えながら、「明和の大一揆」や「天明の大飢餓」も見てきたことでしょう。切り株を見るにつけ「どうして守ってやれなかったのだろう」と涙がこぼれてきます。
今はただ、新しく植えられた若木が立派に成長してくれるのを、黙って見守るばかりです。
しかし、その後僅か6年ほどの間に松くい虫被害で次々と5本が失われてしまいました。
切り株の年齢を数えると、いずれも220~250年を経過していました。松は恐らく幾多の洪水、強風に耐えながら、「明和の大一揆」や「天明の大飢餓」も見てきたことでしょう。切り株を見るにつけ「どうして守ってやれなかったのだろう」と涙がこぼれてきます。
今はただ、新しく植えられた若木が立派に成長してくれるのを、黙って見守るばかりです。

