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里山辺かるた「な」
更新日:2026年10月7日更新
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『東五千石』の諏訪領から神田―南小松―北小松―西荒町と里山辺を南北に走り、山辺中学校に至り中学校の東側を荒町―美里町―新井―下金井―湯の原へと通ずる道が、通称『五千石街道』です。昭和40年代頃までは田畑のみの長閑(のどか)な田舎道でしたが、今では小松町・若里町・美里町と新町会が誕生する街並へと変貌(へんぼう)しました。

よもやま話(里山辺を南北に貫く歴史街道)
《元和3年(1617)藩主小笠原忠政(八万石)が移封となり、その後に戸田康長が七万石で入封すると、差額の一万石分が諏訪藩と高遠藩にそれぞれ五千石ずつ割譲された》という話を『千鹿頭神社』の回で紹介しました。
ここで成立した『東五千石領』(諏訪藩領)から、林境―南小松―北小松―西荒町を通って湯の原に至り、本郷・岡田へと抜けていく、里山辺を南北に貫く街道が、通称『五千石街道』と呼ばれている道です。
今はすっかり市街化し、朝夕の通勤ラッシュで混雑するこの道も、昭和40年代頃までは田畑の多い長閑な田舎道でした。
ここで成立した『東五千石領』(諏訪藩領)から、林境―南小松―北小松―西荒町を通って湯の原に至り、本郷・岡田へと抜けていく、里山辺を南北に貫く街道が、通称『五千石街道』と呼ばれている道です。
今はすっかり市街化し、朝夕の通勤ラッシュで混雑するこの道も、昭和40年代頃までは田畑の多い長閑な田舎道でした。

