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里山辺かるた「れ」

更新日:2026年10月7日更新 印刷ページ表示
入山辺から里山辺を通って一直線にお城に向かって東西に伸びる道を、通称『山辺街道』といいます。山辺の地は「松本の平で最も早く歴史が拓けた場所のひとつ」といわれ、縄文からの遺跡も確認されています。その後も、度々歴史の舞台に登場します。江戸期は薪(まき)・炭から野菜まで、松本の町の台所を支える大切な経済道路でもありました。江戸後期から明治20年代にかけての「長野県内の藍(あい)の主要な生産地」としての顔も忘れられません。「須々岐水神社例祭で曳行される立派な『お船』が建造できたのも藍のお陰だ」との指摘もあります。「山辺の歴史を勉強することは松本の歴史を勉強することに通じる」という人さえいます。
れ

よもやま話(山辺を東西に突き抜ける道)

入山辺地区から上金井・兎川寺・荒町・西荒町・若里町を通って松本城北に抜ける道は、昔も今も大切な道です。
山辺の地は古くから開け、歴史上重要な役目を果たしてきました。「松本の歴史を知りたかったら山辺の歴史を勉強しろ」という人さえいます。
お城を中心に城下町の発達した江戸時代は、「山辺道」が特に重要でした。薪・炭に代表される台所の要は山辺が握っていたといっても過言ではないでしょう。
今でも、市街地からファーマーズに日々の野菜や果物を求め来る人が多くいるそうです。
有難いことです。もっともっと魅力的な「山辺」にしたいですね。

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