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里山辺かるた「こ」

更新日:2026年10月6日更新 印刷ページ表示
兎川寺町会と薄町町会の境界付近の田中にぽつんと建つ円墳です。現在はきれいな小公園として整備されています。圃場(ほじょう)整備が実施される前は数基の古墳の存在が確認されていましたが、現在『針塚古墳』のみが残ります。全国的に数の少ない積石塚古墳(一般的に多いのは葺(ふ)き石古墳)です。弘法山古墳(推定三世紀末~四世紀中頃)より150年ほど新しいと言われています。古墳は本来『墾塚(はりづか)』で、先祖がこの地を開墾したことを示すとする説があります。また、渡来系民族の卦婁真老(けるのまおい)が須々岐氏の姓を賜ったことに由来し、その先祖の墓とする説もあります。朝鮮半島に積石古墳が多いこととの関連を指摘する人もいます。この古墳の保存には地元住民の熱意と運動によるところが大きかったのも特徴のひとつです。古墳は現在、県の史跡に指定されています。
こ

よもやま話(山辺の『古墳ロマン』)

教育文化センターより西南の方向へ100メートルほど進むと、小さく整った古墳公園があります。『針塚古墳』です。
実は山辺には意外に古墳が多く、針塚古墳をとり囲むように、ほぼ半径2キロメートル範囲に20数基が確認されていますが、形の残っているものは、残念ながら数基しかありません。
ところで、針塚古墳は日本では数少ない積石塚です。朝鮮半島に多い型式といいます。そこで、「渡来系民族の卦婁(ける)氏(須々岐氏)の先祖の墓では)という学者も多いといいます。
山辺歴史研究会を始めとした、地域の皆様方の熱意が、古墳を残す大きな力となりました。

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