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里山辺かるた「す」

更新日:2026年10月6日更新 印刷ページ表示
林町会に在る廣澤寺は、信濃守護職の小笠原政康が嘉吉(かきつ)元年(1441)に棠峰(とうほう)和尚を開山として開基した臨済宗龍雲寺(りんざいしゅうりゅううんじ)が始まりといわれます。後の宝徳(ほうとく)元年(1449)、小笠原持長が雪窓一純禅師(せっそういちじゅんぜんじ)を招いて曹洞宗に改めました。現在の『廣澤寺』の寺号は天文十一年小笠原長棟(ながむね)の法号(ほうごう)に因んで改められたとのことです。廣澤寺は小笠原氏の菩提寺で、山辺では明治の廃仏棄釈(はいぶつきしゃく)の折、唯一廃寺を免れた寺です。本堂の裏山には大坂夏の陣で戦死した小笠原秀政(ひでまさ)・忠脩(ただなが)父子の墓(供養塔)が安置されています。本堂に向かう参道の欅(けやき)・杉の古木の並木は見事で情緒があります。
す

よもやま話(里山辺の古刹・名刹Ⅱ)

廣澤寺は信濃国守護の小笠原氏菩提寺として、嘉吉元年(1441)に雪窓一純禅師によって開山したと伝わります。
初め『龍雲寺』と呼ばれていましたが、小笠原長棟の法号に因んで『廣澤寺』と寺号を改めたとのことです。
山辺の地で、唯一明治の廃寺を免れたのも、小笠原家縁の寺院故でしょう。
本堂の裏山には大坂夏の陣に散った小笠原秀政・忠脩父子の墓(供養塔)がひっそりと建っています。
山腹へと続く長い参道は、欅と杉の木立が美しい寺で、流石松本で、一、二を競う檀家数を誇る大寺の風貌を漂わせます。

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