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里山辺かるた「し」
更新日:2026年9月25日更新
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昭和三十年代頃まで山辺中学校を中心とした辺りは『惣社っ原』と呼ばれる人気の少ない寂しい場所でした。この惣社境に石積みの台状の塚が築かれていました。ここで里山辺からの出征兵士を万歳の声で送り出したといいます。その内のどれほどの人が生きて再び郷土の土を踏めたのだろうかと思うと、胸が締め付けられる思いがします。大切な戦争遺跡のひとつですが、残念ながら今ではその場所の特定さえ難しくなってしまいました。

よもやま話(新たに掘り起こされた地域の歴史Ⅱ)
公民館にたまたまお見えになったKさんと「今かるたの題材を探しているが、若里町会の歴史がなかなかみつからなかうてねえ」と話していたとき、「山辺中学校が建設された頃は、何もない所だった」という話になりました。
「そういえば、あの惣社との村境に、出征兵士を見送るお立ち台があったねえ。皆がバンザイの声で送るから、『バンザイ塚』と呼ばれていてせ」
その歓呼の声の下で、どの位の「かえらぬ人」が出たのだろうかと、ふとこみあげきました。
出征(しゅっせい)の兵士を偲ぶ万歳塚
「そういえば、あの惣社との村境に、出征兵士を見送るお立ち台があったねえ。皆がバンザイの声で送るから、『バンザイ塚』と呼ばれていてせ」
その歓呼の声の下で、どの位の「かえらぬ人」が出たのだろうかと、ふとこみあげきました。
出征(しゅっせい)の兵士を偲ぶ万歳塚

