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おもシロ!城郭つうしん 第15回 史跡松本城の石垣について
おもシロ!城郭つうしん
第15回 史跡松本城の石垣について
第15回は、史跡松本城の石垣についてです。
前回まで、史跡松本城について説明しましたが、今回は、史跡松本城を構成している要素の一つになっています、石垣に着目していきたいと思います。
松本城にある石垣
石の加工方法の違い
松本城には多くの石垣がありますが、場所によって、使われている石の加工方法に違いがあることが分かります。
(1) 野面積み(のづらづみ)
山や川にある自然石を、大きな加工をせずに、ほとんどそのままの状態で使う方法で、城郭石垣では最も古い時期にあたります。石それぞれの大きさは不ぞろいですが、石どうしのすき間に小さな石(間詰石(まづめいし))をはめ込むことで、すき間が開かないようになり、積んだ石が崩れない方法がとられています。

写真1:文禄期のものと推定される天守台東面の石垣

写真2:文禄期のものと推定される乾小天守北面の石垣
(2) 打込み接ぎ(うちこみはぎ)
野面積みと比べると、石を積みやすくするために、石材の角(接合部)を加工して、石どうしの接合面を増やし、すき間を減らしたものです。(※接ぐ(はぐ):接合すること)この方法であれば、野面積みと比べて勾配が急な石垣を築くことができます。打込み接ぎは、関ケ原の戦い(1600年)以降の城造りで、多く見られます。

写真3:昭和以降に復元された太鼓門北台南面の石垣
(3) 切込み接ぎ(きりこみはぎ)
石の形を完全に整える形に加工し、ほとんど同じくらいの大きさに加工している、最も新しい時期の加工方法です。元和期(1615~24年)以降になると、切込み接ぎが主流となりました。この方法であれば、石どうしがぴったり合う形になるので、打込み接ぎより更に勾配が急な石垣を築くことができます。なお、松本城では切込み接ぎの加工方法をとっている石垣は、ほとんど見られません。(※下記写真で示す埋門付近のみ)

写真4:江戸中期のものと推定される埋門虎口南面の石垣

他城郭における切込み接ぎの例:金沢城石川門の石垣
ここまで述べたとおり、城郭石垣の加工方法は、「野面積み → 打込み接ぎ → 切込み接ぎ」の順に発展を遂げていきました。
ここからの話は想像になりますが、松本城で切込み接ぎが少ない理由として、切込み接ぎには高い加工技術が必要で、お金や時間が他の方法と比べて多く掛かってしまうことが考えられます。石垣は現代においても崩れたりするものですので、江戸時代の松本城でも石垣の修理が必要になった箇所があったかもしれません。しかしながら、お金の問題もあり、野面積みや打込み接ぎ状に加工した石によって、必要な所の補修を行っていたかもしれないですね。
石の積み方の違い
使用する石の加工方法や時代等によって、石垣の積み方にも違いが見られます。
(1) 乱積み(らんづみ)
この積み方の場合、様々な大きさの石を使用して積む形になるので、石の横目地(よこめじ)が通ることはありません。松本城ではこの積み方が多く見られます。

写真5:慶長期のものと推定される本丸東側中央の石垣
(2) 布積み(ぬのづみ)
この積み方の場合、均一な大きさの石を使用して積む形になるので、石の横目地が通る積み方です。松本城では、他城郭で見られるような、石どうしのすき間がほとんどない布積みではありませんが、布積み状に積まれた石垣もわずかに見ることができます。

写真6:寛永期のものと推定される北外堀内周の石垣
(3) 谷積み(落とし積み)
この積み方の場合、均一な大きさの石を使用して、石材を斜めに積んでいきます。幕末から明治期にかけて発展した積み方で、松本城でも見ることができます。

写真7:昭和以降に造られた南外堀内周の石垣
松本城にある古い時代の石垣
国宝松本城天守は、文禄2~3年頃(1593~94年頃)に築城されたと考えられますが、ほとんど同じ時期に造られたと考えられ、今も残っている石垣はどこにあるかご存知ですか?

文禄期(1592~96年)の石垣
(1) 天守台石垣
昭和の大修理で一部(天守南面、辰巳附櫓南面、月見櫓南東面)が改修されてしまっていますが、それ以外の石垣は、天守築造と同時期に造られたものと考えられています。

写真8:天守台と乾小天守台の石垣
(2) 太鼓門台石垣
平成11年(1999年)に枡形が復元された太鼓門ですが、南側石垣の下部(一部)は、築城当時のものと考えられています。
日本各地の城郭の石垣には、ほぼ必ず巨石が見られ、城内への入口に巨石を組み込んだ石垣があることが多いことが知られています。松本城では太鼓門台の石垣に、高さ3.6メートル・重さ22.5トンにもなる巨石が使われています。なぜ入口に巨石を用いるのかというと、巨石を見せることによる権力者の力の誇示が考えられます。
なお、太鼓門台に使われている巨石は、「玄蕃石(げんばいし)」と呼ばれており、天守を完成させた石川康長の官位であった玄蕃頭(げんばのかみ)から、その名前が付きました。

写真9:太鼓門台の石垣(写真右端の巨石が玄蕃石)
慶長期(1596~1615年)の石垣
(1) 黒門台石垣
黒門(一の門)の門台西側石垣は、慶長期に造られたものがそのまま残っていると考えられています。なお、黒門の門台東側の石垣は、昭和30年(1955年)に積み直されたものになっています。

写真10:黒門台西側の石垣
(2) 本丸北側、本丸東側の石垣
本丸の北東側にある石垣も、慶長期に造られたものが残っていると考えられています。北側市道の歩道や二の丸御殿跡から、堀を挟んで見ることができます。

写真11:本丸北側の石垣
今回は、史跡松本城の石垣について着目し、石垣の加工方法の違いや時期について紹介してきました。石垣は史跡松本城を構成している貴重な文化財ですので、直接触ることは文化財を傷つけてしまう恐れがあるため、行わないでください。ただ、近くまで寄ることができる所もあるので、松本城にお越しの際は、ぜひ違いを確認してみてください。
また、松本城では今年度から石垣の様子を記録するための石垣カルテを作成します。大切な文化財を保存し、後世まで守り継ぐための事業ですので、ご理解とご協力をお願いします。(松本城整備課:丸山)
(参考)今回紹介した石垣が見える場所について
(1) 本丸周辺

※写真2を撮影した場所は、立入りできません。
(2) 黒門・太鼓門周辺

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