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歴代市長

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

小里 頼永(おり よりなが) 任期:明治40年7月~昭和12年8月

安政2年(1855年)5月1日~昭和16年7月3日
 県議会議員、衆議院議員も歴任。市長在任30年に及び、国宝市長と呼ばれた。在任中に松本高等学校、日本銀行松本支店、歩兵第50聯隊を誘致。県庁移庁運動をリードするなど、松本市政に大きな足跡を残した。市役所本庁舎入口の銅像は、市長在任30年を祝って、当時の全国市長会から贈られた。

百瀬 興政(ももせ おきまさ) 任期:昭和12年8月~昭和14年4月

明治元年9月12日~昭和14年4月21日
 松本市議会議長、県議会議員も歴任、普通選挙運動にも参加。市長在任中には、NHK松本放送局、県護国神社、県立松本工業学校の招致に尽力したが、現職中に亡くなった。思想家木下尚江とは従兄弟の関係にあたる。

百瀬 渡(ももせ わたる) 任期:昭和15年4月~昭和19年4月

明治7年2月5日~昭和20年12月21日
 衆議院議員、県議会議員も歴任。若手記者として信濃日報で活躍。その後政界に転ずるが、市長在任は、戦時下と重なった。美髭により蒙古王の愛称で親しまれた。

平林 盛人(ひらばやし もりと) 任期:昭和19年5月~昭和20年3月

明治20年11月10日~昭和44年5月21日
 陸軍中将。短期の在任期間。旧穂高町長平林伊三郎氏の父。内地決戦に備える当時の政府の応召により、10月で市長を退職、姫路師管区司令官に赴任した。

平山 泰(ひらやま やすし) 任期:昭和20年7月~昭和21年3月

明治23年9月29日~昭和21年3月27日
 平林市長の応召に伴い市長に就任。就任後間もなく終戦。敗戦処理と占領軍(進駐軍)の進駐対策にあたった。

赤羽 幾一(あかはね いくいち) 任期:昭和21年6月~昭和21年12月

明治29年9月21日~昭和46年3月30日
 平山市長の応召により、助役から就任。井筒ノ湯旅館におかれた「長野県進駐軍司令部支部」との対応などにあたった。東京都葛飾区長等を歴任し、筒井氏ともこの頃から親交があった。

筒井 直久(つつい なおひさ) 任期:昭和22年4月~昭和26年4月

明治36年11月12日~平成14年11月10日
 東京都職員、松本市助役を経て、赤羽市長の公職追放により実施された初の公選により市長に就任。企画室を設置し、合併による大松本市の建設を掲げるなど、構想の大きさから「筒井の大風呂敷」とも言われた。民主市政の一環で市に婦人課を設置したのを始め、競輪場の開設、警察予備隊(現自衛隊)の招致にも尽力した。

松岡 文七郎(まつおか ぶんしちろう) 任期:昭和26年4月~昭和32年1月

明治23年5月4日~昭和32年1月23日
 医師。松本市議会議長を経て市長に就任。町村合併促進法に基づき、昭和29年近村13か村との大合併を実現。再選され、合併条件の履行 と新しい松本市の行政拠点としての新市庁舎の建設に取り組んだが、建設地が丸の内か深志(後の市民会館建設地)かで紛糾するなか、市長室で倒れ、不帰の客となった。

降旗 徳弥(ふるはた とくや) 任期:昭和32年3月~昭和44年3月

明治31年9月28日~平成7年9月5日
 県議会議員、衆議院議員(逓信大臣)を経て就任。松本第一主義を掲げて、財政再建、新市庁舎の建設、中央東線の高速化、松本空港の開港などを果たし、内陸唯一の新産業都市の指定を得、今日の松本市の発展の基礎を築いた。また、それまで政令指定都市の指定席であった全国市長会長を五期にわたって務め、全国の地方自治体の先頭にたった。ソルトレーク市との国際姉妹提携も実現、全日本花いっぱい連盟会長として、松本に発祥したこの運動をリードした。松本市名誉市民。

深沢 松美(ふかさわ まつみ) 任期:昭和44年3月~昭和51年3月

明治43年3月20日~昭和51年6月21日
 県議会議員を経て就任。福祉の充実を市政の重点に据え、児童福祉、高齢者福祉、勤労者福祉などに努め、保育所の公営化を実現。松塩筑南安広域市町村圏協議会を組織化するなど広域行政に取り組む一方懸案であった本郷村との合併を昭和49年実現させたが、二期目任期中途で病気のため市長職を辞した。

和合 正治(わごう しょうじ) 任期:昭和51年3月~平成4年3月

大正6年2月27日~平成16年3月7日
 松本市助役を経て、就任。昭和53年のやまびこ国体をはじめ、中央道長野線の建設、松本空港のジェット化に尽力。60年には「音楽とスポーツ都市宣言」を行い、文化施設の充実、国際観光モデル地区、国際コンベンション都市の指定を受けたほか、サイトウ・キネン・フェスティバルの松本誘致に尽力した。全国市長会副会長も歴任。松本市名誉市民。

有賀 正(あるが ただし) 任期:平成4年3月~平成16年3月

昭和6年4月29日~平成29年4月22日
 県議会議員を経て就任。行政改革を進め、福祉ひろばを全地区に設置するなど社会福祉の充実、美術館、市民芸術館の建設など芸術文化の振興に尽力。平成11年に松本広域連合を発足、12年には特例市の指定を受けたほか、四賀村をはじめとする近隣町村との合併協議を推進した。長野県市長会長、北信越市長会長、全国市長会副会長を歴任。松本市名誉市民。

菅谷 昭(すげのや あきら) 任期:平成16年3月~令和2年3月

昭和18年11月22日~
千曲市出身の外科医師。臨床医学の現場からチェルノブイリ原発事故によるベラルーシ共和国での医療支援活動、長野県衛生部長を経て松本市長に就任。健康づくり、子育て支援、危機管理の3点を重視した施策「3Kプラン」を展開し、人や地域、経済、環境などあらゆる分野の健康づくりを目指した「健康寿命延伸都市・松本」施策を推進した。命と向き合う医師としての視点や、海外の医療支援に携わった経験など国際的な感覚を活かし、平和行政の推進や国を動かすことになった食品ロス削減の取組みなどにも尽力した。長野県市長会長を歴任。このページのトップに戻る


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