ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

1995年から1999年の写真

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

このページでは、1995年から1999年の松本市の写真を掲載しています。
目次をクリックするとその年の見出しへ移動します。
各年の最後の部分からこのページのトップに戻ることができます。

目次

平成7年(1995)

普通選挙運動記念像(中央図書館)

普通選挙運動記念像(中央図書館)の写真

1月20日、中央図書館前庭に「普通選挙運動発祥の地」記念像が建立され、除幕式が行なわれました。明治30年普選運動の看板が松本市内に掲げられたことにはじまり、木下尚江、降旗元太郎らが先達となって、30年以上の歳月かけて実現させた、憲政史に輝く運動でした。(1月20日)

廊坊市訪問団

廊坊市訪問団の写真

1月24日~27日、廊坊市からレン・リェンファイ人民代表大会常務委員会主任を団長とする一行4人が松本市を訪れ、友好都市提携を早期に進める努力をし、両市の交流を活発化させ、ともに発展してゆくことを誓いあいました。中国の都市との友好提携について、これに先駆け、松本市は6年9月、百瀬常雄議長率いる調査団を中国の胡蘆島市、平度市、廊坊市に派遣、廊坊市が最適との報告がされていました。(1月24日)

阪神大震災・給食ボランティア

阪神大震災・給食ボランティアの写真

1月17日早朝、後に阪神・淡路大震災とよばれる、兵庫県南部地震が発生。復興支援への松本市の立ち上がりは早く、1月21日には、広域消防職員が、同24日からは水道局職員が派遣されました。同じ24日からは、市民ボランティアによる「松本市給食ボランティア隊」の炊き出し隊が、8次隊までの編成で神戸市長田区でボランティア活動を行ないました。(1月24日)

神戸市長への義援金

神戸市長への義援金の写真

2月4、5日には、有賀市長、百瀬議長、坂下町会連合会長が神戸市を訪れ、市民の皆さんから寄せられた義援金2000万円を笹山神戸市長、兵庫県対策本部に直接手渡しました。義援金の額は最終的には1億5700万円に達しました。(2月4日)

松本市花き研修センター

松本市花き研修センターの写真

平成6年に完成した新村の松本市花き研修センター。より付加価値の高い「花き栽培」を導入しようという農業者を養成する使命を担っています。(3月)

95松本グリーンフェア

95松本グリーンフェアの写真

4月14日~16日、開催のグリーンフェアに合わせて行なわれた緑化木の無料配布。連日大勢の市民の皆さんが訪れました。この前年に行なった市民世論調査によれば、松本の将来像の第一位は「水と緑にかこまれた情緒豊かな都市」。もっと緑が必要と考えている市民が多いとう結果でした。(4月14日)

広島線開設(松本空港)

広島線開設(松本空港) の写真

4月25日、松本と広島を結ぶ広島線の開設記念セレモニーに行なわれました。キャッチコピーは「春から安芸(あき・広島の旧名)へ」でしたが、利用は伸びず1シーズンで廃便になりました。 (4月25日)

災害時の相互応援協定・高山市と締結

災害時の相互応援協定・高山市と締結の写真

阪神・淡路大震災を教訓に、松本市は、国内の姉妹都市と災害時の相互応援協定を結び、危機に備えることになり、藤沢市に続いて、岐阜県高山市とも協定を締結しました。(5月12日)写真は、協定書に調印する、土野(つちの)高山市長と有賀市長。

第6次基本計画策定100人委員会全体会議

第6次基本計画策定100人委員会全体会議の写真

5月31日に開催された第6次基本計画策定百人委員会の全体会議の模様。21世紀に向けて市民の皆さんの意見・提言を反映させる機会で、基本計画の策定にあたっては、毎回このような機会を設けています。(5月31日)

大正の情緒漂う下町会館

大正の情緒漂う下町会館の写真

大正時代のロマンが漂う「下町会館」の修復工事が完了しました。この建物は、廃業した化粧品屋さんの建物を市が購入、整備したもので、上土・緑町・縄手のお城城下町の個性ある街づくりをすすめる拠点となりました。(5月)

花のプランター・ハンギングバスケット設置(市役所庁舎2階下の外壁)

花のプランター・ハンギングバスケット設置(市役所庁舎2階下の外壁) の写真

ヨーロッパへ行くと窓辺に美しい花が下げられているのを見かけます。そんな街づくりにヒントを得て、この年から市役所の窓辺に花が飾られることなりました。花いっぱいの街に相応しいと好評のようです。(6月)

衣替えした特急しなの

衣替えした特急しなのの写真

衣替えした特急しなの。揺れの大きかった先代に比べ、揺れも少なく・座席も広く、トイレも車イス対応の車両となりました。(7月)

窪田空穂記念館

窪田空穂記念館の写真

窪田空穂は、本名を通治(つうじ)といい明治10年(1878)に和田に生まれました。20代で作歌をはじめ、明治33年与謝野鉄幹に認められて上京、東京専門学校(後の早稲田大学)に学びます。卒業後、一時、新聞・雑誌の記者としても活躍の後、大正15年に早稲田大学教授となり、古典研究でも優れた業績をのこしました。空穂の業績を称えるこの記念館では、空穂の肉声で短歌の旅を楽しむことができます。 (7月)

福祉ひろば第1号・城東地区

福祉ひろば第1号・城東地区の写真

本庁管内での地区福祉ひろば第1号として完成した「城東地区ふくしひろば」。福祉ひろばは、お年よりの交流、文化活動の拠点として、後に全国から注目される存在になりました。全29地区への福祉ひろばの整備は、平成15年の3月まで年次計画ですすめられました。(8月)

大相撲松本場所(総合体育館)

大相撲松本場所(総合体育館) の写真

総合体育館が出来たことで、さまざまなスポーツイベントが開催されるようになりました。バレー、卓球の国際大会。バスケット、アイス・スケート、プロレス、ボクシングetc.写真は、大相撲の松本巡業。横綱貴乃花の全盛期だけに大勢の市民がつめかけました。(8月)

第38回全国花いっぱい大会・松本大会(紀宮さま)

第38回全国花いっぱい大会・松本大会(紀宮さま)の写真

紀宮清子内親王をお迎えして、終戦50周年・平和祈念・第38回全日本花いっぱい松本大会が開催されました。戦後の荒廃の中で、平和への希望の光として生まれた「花いっぱい運動」。これまで運動を支えていただいた皆さんに感謝状が送られました。(9月6日)

故降旗徳弥元市長の合同葬(市民会館)

故降旗徳弥元市長の合同葬(市民会館)の写真

第九代松本市長で、逓信大臣、全国市長会会長を歴任された、松本市名誉市民の降旗徳弥先生(9月5日逝去)の松本市と降旗家の合同葬が市民会館で執り行われました。松本第一主義を掲げ、内陸唯一の新産業都市指定、松本空港の開港、ソルトレークシティとの国際姉妹都市提携などに大きな足跡を残されました。 (9月20日)

新焼却プラント起工式

新焼却プラント起工式の写真

松本市始まって以来の大型事業、新焼却プラント建設工事の起工式・安全祈願祭が10月23日に挙行されました。徹底した環境保全対策をはじめ、ゴミの焼却によって生じる熱を利用しての温水プールや余剰電力の売電が計画されるなど壮大な事業計画でした。(10月23日)

第6回留学生日本語スピーチコンテスト

第6回留学生日本語スピーチコンテストの写真

松本東ロータリークラブ主催で毎年開催されている留学生日本語スピーチコンテスト。日本語の上手さもさることながら、その視点のするどさや、彼らの目に映る日本人の姿には、大いに学ぶべき点もあります。(11月)

北松本立体交差事業

北松本立体交差事業の写真

市内から島内方面へ抜ける最大のネックは、北松本の踏切でした。これを解消するために、着手したのが北松本立体交差事業。橋上に駅舎を築き、アンダーパス方式で4車線道路が地下トンネルを貫く大事業で、道路部分の開通は12年の4月でした。(12月)

このページのトップに戻る

平成8年(1996)

松本広域圏防災の日の訓練

松本広域圏防災の日の訓練の写真

1月17日は、一年前、阪神・淡路大震災が発生した日。その教訓に学び、大規模災害に備えるために翌年から、この日を松本広域圏防災の日として、防災訓練を松本広域19市町村持ち回りで実施することになりました。(1月17日)

自動交付機が稼動

自動交付機が稼動の写真

この年の2月1日から市民カードによる住民票の写し、印鑑登録証明書、外国人登録証明書が出せる自動交付機が稼動しました。当初は、市役所東庁舎1階と南松本の総合社会福祉センターに設置されました。この当時はまだ、日曜・祭日の利用はできませんでした。 (2月1日)

グルッペ松本

グルッペ松本の写真

市内にお住まいの田内さん一家が開催している草の根国際交流事業「グルッペ松本」。グルッペとはグループのドイツ語。田内さんが松本在住の留学生ほかに日本舞踊を教える中で、自国の文化に誇りを持つことの大切さに気づき、文化交流の場となったのがこのグルッペ。平成16年まで続けられました。(2月)

白線流し(深志神社でのひとコマ)

白線流し(深志神社でのひとコマ)の写真

だいぶぼやけていますが、後に特別編が制作されるほどの人気シリーズになった「白線流し」のオリジナルシリーズの深志神社での撮影風景。中央に写っているのは長瀬智也さん。(2月)

鈴木鎮一記念館オープン

鈴木鎮一記念館オープンの写真

スズキメソードの創始者であり松本市名誉市民の鈴木鎮一先生からその活動の拠点であった邸宅と愛用の品々が市へ寄贈され、鈴木鎮一記念館としてオープンしました。(4月12日)展示室には愛用のバイオリンはじめ、世界各国から贈られた勲章や名誉市民証など400点を超える、才能教育の発展を物語る資料が展示されています。

谷川可奈子さん(マウンテンバイク・クロスカントリー・オリンピック代表)

谷川可奈子さん(マウンテンバイク・クロスカントリー・オリンピック代表)の写真

細い山道を風のようにマウンテンバイクで駆け抜ける谷川可奈子さん。(里山辺在住)アトランタオリンピックから正式種目となったマウンテンバイク・クロスカントリー競技の女子ではただ一人の日本代表に選ばれました。松本市からは、初めてのオリンピック選手です。(5月)

仙台線開設テープカット(松本空港)

仙台線開設テープカット(松本空港)の写真

7月20日、松本と仙台を結ぶ空路が開設されました。週3便運行され、所要時間は65分。これに先立ち、19日から福岡便が週4便から毎日運行に、広島便が週3便から4便になり、既存の大阪便(毎日2便)、札幌便(毎日)と合わせ、90年代では、空港利便が最も拡充した年でした。(7月20日)

姫路市との姉妹都市提携30周年記念式典

姫路市との姉妹都市提携30周年記念式典の写真

7月27日、松本市と姫路市の姉妹都市提携30周年を祝う記念式典が挙行され、姫路市の堀川市長(左から2人目)、砂田議長(左端)と有賀市長、窪田議長による、かしの木の記念植樹が行なわれました。30周年を記念して松本市からは道祖神が贈られ、姫路市からは姫路城のタペストリー(織物の壁掛け)が贈られました。(7月27日)

いちやま旅館

いちやま旅館の写真

なまこ壁が美しい「いちやま旅館」。城のまち・まつもとにマッチした建築として、その保存を求める声もありましたが、公園通りの拡幅整備で取り壊されることになりました。内装などで再利用できるものは最大限に生かし、この風情を伝える建物に、花時計公園に面して、新築されました。 (7月)

祈念碑・平和の誓い(あがたの森)

祈念碑・平和の誓い(あがたの森)の写真

あがたの森公園に平和祈念碑が建立され除幕式が8月12日挙行されました。終戦から半世紀を記念して、日展作家である洞澤今朝夫さんに制作を依頼したもので、当初予定より制作に1年、余分にかけたもので、洞澤先生も感慨ひとしおのご様子です。(8月12日)

二十山部屋夏季合宿の相撲教室

二十山部屋夏季合宿の相撲教室の写真

元大関北天佑の二十山(はたちやま)親方の二十山部屋の夏合宿が笹部、野々宮神社境内で行なわれました。この日は、相撲教室が開催され、子供達は、間近に見る力士の大きさに圧倒されながらも、ドスコイ・ドスコイと四股(しこ)を踏んでいました。(8月)

上條信山氏を名誉市民に

上條信山氏を名誉市民にの画像

8月22日、文化功労者で書道家の上條信山先生の松本市名誉市民推戴式が、先生ゆかりの神林で開催されました。この年、姫路市長堀川和洋氏、洋画家・田村一男氏、指揮者・小澤征爾氏が名誉市民に推戴されました。上條先生に贈った称号記は、さすがに書きづらかったそうです。 (8月22日)

国際環境使節団訪問

国際環境使節団訪問の写真

長野の前の冬季五輪の開催地、ノルウェーのリレハンメルから環境使節団が松本に到着。環境の保護を訴えるリレハンメル市長のメッセージを犬ぞりや自転車、徒歩で16000キロを走破して長野県までやってきたもので、この運動は、後にNASL(ナッスル)に受け継がれ、長野からソルトレークに向けて環境使節団が旅立って行きました。(9月)

中町蔵シック館オープン

中町蔵シック館オープンの画像

大礼酒造の建物を移築復元してオープンした中町の蔵シック館。蔵の中町のシンボル的建物として、ギャラリーや展示場、あるは集会施設として活用されています。(10月5日)

松本空港から国際線チャーター便就航(韓国釜山の金海国際空港へ)

松本空港から国際線チャーター便就航(韓国釜山の金海国際空港へ) の画像

11月15日、松本空港から初の国際チャーター便が韓国・釜山金海国際空港に向かってとび立ちました。これは、松本青年会議所が釜山で開かれる青年会議所の世界大会に出席するためにチャーターしたものです。松本・諏訪地区が新産業都市に指定されていたことに伴い、諏訪に税関があり、その職員が出張して出入国の手続きをとりました。(11月15日)

なんなんひろばイルミネーション

なんなんひろばイルミネーションの写真

南松本のなんなん広場のカリオンにつけられた献血を呼びかけるイルミネーション。毎年、年末年始に血液が不足することから、ライオンズクラブの皆さんが中心になって「イブの献血フェスティバル」として、献血を呼びかけているものですが、このイルミネーションは、師走の到来も告げる季節の使者でもあります。 (12月)

このページのトップに戻る

平成9年(1997)

新装なった市民課ホール

新装なった市民課ホールの写真

利用しやすくわかりやすい窓口を目指して、市民課と年金課のカウンターが一新され、ローカウンターや相談窓口も設けられました。(1月)

新焼却プラント工事風景

新焼却プラント工事風景の写真

新焼却プラントの工事風景。煙突からプラント本体の工事へと移っています。(2月)

太鼓門上棟式

太鼓門上棟式の写真

太鼓門の棟上式。昭和50年代から復元に向けて資料探しが始まり、浅間の二木家にあった指図が決め手となって復元にこぎつけました。(4月5日)

市制施行90周年式典

市制施行90周年式典の写真

市役所大会議室で開催された市制記念日の式典で挨拶する有賀市長。(5月1日)

ソルトレークシティからトム・ウェルチ会長が表敬訪問

ソルトレークシティからトム・ウェルチ会長が表敬訪問の写真

姉妹都市ソルトレークシティから2002年の冬季五輪招致委員長のトム・ウェルチさんが来松。72年は札幌に破れ、98年には長野に敗れた経験から、「日本の都市がいなかったから今回は勝てた」と話していました。(5月)

水道週間

水道週間の写真

水道週間に合わせて緑化木の配布が行なわれました。(5月)大正時代末まで松本の水源は、井戸水でした。人口増加に伴い水不足が深刻になり、大正12年、城山配水池建設に着手しました。

美ヶ原少年自然の家開所式

美ヶ原少年自然の家開所式の写真

5月26日、「美ヶ原少年自然の家」の開所式が行なわれました。自然との触れあいを願い、美ヶ原少年の家に「自然」の文字を加えてのリニューアルオープンでした。(5月26日)

福祉道路整備事業の一環としての点検行動

福祉道路整備事業の一環としての点検行動の写真

誰もが安全に通行できる道路づくり(福祉道路)のため、市民と障害者団体が協力しての点検行動の模様です。(7月22日、第一地区で)

松本ライオンズ

松本ライオンズの画像

少年軟式野球の全国大会に初出場の松本ライオンズの選手の表敬訪問。松本市では、全国大会に出場するチームやブラスバンド等に一定の基準で全国大会出場祝金を贈っています。(7月30日)

全米桜の女王

全米桜の女王の写真

松本城本丸庭園でお茶を楽しんでいるのは、全米桜の女王ミッシェル・マンキーさん。この後、薄川で日本を代表する桜とアメリカを代表するハナミズキの記念植樹もしました。(9月)

松本市ホームページ開設

松本市ホームページ開設の写真

10月1日には、松本市のホームページが開設されました。当初は、市長あいさつや観光案内が中心で、掲載項目も100項目という簡単なものでした。 (10月1日)

池上百竹亭

池上百竹亭の写真

多くの文人と交流のあった故池上喜作翁の旧邸を遺族から平成7年に寄贈を受けて、翌8年、生涯学習施設としてオープンした池上百竹邸。邸内には茶室があり、定期的に茶席が設けられています。(10月)

特別有功表彰(唐澤俊二郎氏・小澤貞孝氏)

特別有功表彰(唐澤俊二郎氏・小澤貞孝氏)の写真

11月3日、国政の場を通じて郷土の発展に尽くされた元郵政大臣唐沢俊二郎氏(中央右)、民社党国会対策委員長小澤貞孝氏に特別有功章が贈られました。写真は、その時の記念撮影。(11月3日)

松本駅エレベーター

松本駅エレベーターの写真

障害者に優しい街づくりの推進の一環として、松本駅にエレベーターが設置されました。それまでエレベーターがなかったのがむしろ不思議なくらいで、改めて障害者の目線で街を見る必要性を感じます。障害者に住みよい街は、健常者にも住みよいはずです。(11月)

大糸線復旧

大糸線復旧の写真

平成7年7月11日の集中豪雨により、寸断された大糸線がこの年の11月29日に完全復旧。当初は、完全復旧は困難と見られましたが、有賀市長が完全復旧をめざす同盟会の会長に就任。中央への強烈な陳情を繰り返して完全復旧を実現させました。(11月29日)

青木湖バイパス開通(冬季オリンピック関連道路)

青木湖バイパス開通(冬季オリンピック関連道路)の写真

冬季五輪の開幕を前に急速に関連道路の整備がすすみました。松本・大町間も高瀬川右岸道路をはじめ青木湖バイパス(写真)などが整備され、時間距離の短縮がはかられました。 (11月)

松本市熟年体育大学

松本市熟年体育大学の画像

後に全国から注目されるようになった松本市熟年体育大学の開校式の模様。「健康に楽しく、年輪を重ねよう」と信州大学医学部の協力を得てスタート。当初は、40歳から69歳の103人が入学しました。(11月)

安房トンネル開通

安房トンネル開通の写真

12月6日、安房トンネルが開通。予備調査から33年、調査坑着工から17年、860億円の巨費を投じた北アルプスの火山帯を貫く大事業でした。これにより半年間、雪に閉ざされていた高山、富山方面への道が通年で確保されました。(12月6日)

氷上フェスティバル(浅間温泉スケートセンター)

氷上フェスティバル(浅間温泉スケートセンター)の写真

12月13日、浅間温泉国際スケートセンターで開催された氷上フェスティバル。ソリリレー、ゲームで終日賑わいました。 (12月13日)

このページのトップに戻る

平成10年(1998)

長野冬季オリンピック聖火リレー

長野冬季オリンピック聖火リレーの写真

長野五輪の聖火リレー。松本市内、24区間、24.7キロを172人の走者がリレーしました。1月31日、お城での出発式で聖火を高々と掲げているのは第一走者の日本ハムの上田佳範選手(松商学園出身)。 (1月31日)

長野冬季五輪時ソルトレークシティ訪問団来松

長野冬季五輪時ソルトレークシティ訪問団来松の写真

長野五輪に併せて次期開催地の姉妹都市ソルトレークから市民訪問団が松本市を訪問。歓迎の夕食会には、テレビでお馴染みのケント・デリカットさんも登場しました。(2月)

鈴木鎮一氏葬儀

鈴木鎮一氏葬儀の写真

1月26日、松本市の名誉市民でスズキメソードの創始者、鈴木鎮一先生が亡くなられました。99歳でした。先生の葬儀は音楽葬として営まれました。NYタイムズ紙は、先生の訃報を一頁にわたり掲載するなどまさに世界のドクター・スズキでした。先生の墓碑には"When love is deep, much can be accomplished."(愛深ければ、為すこと多し)と刻まれています。(3月)

松本市史刊行

松本市史刊行の画像

平成元年から着手し、市制施行90周年記念事業として刊行した「松本市史」五巻11冊の完了を記念した式典の写真。昭和8年の松本市史から60年振りに刊行されたもので、初代市史が刊行が延び延びになり着手から15年を要したのに対し、この市史が計画どおりに刊行されたことは称賛に値します。(3月)

松山・高松便開設(松本空港)

松山・高松便開設(松本空港)の写真

開港5年目を迎えた松本空港に6月から四国便が就航しました。松山便と高松便で週それぞれ3便で、25人乗りの小型機でした。しかし、利用客は伸びず、最終的に13年6月末をもって運休(廃止)となりました。 (6月)

松商学園高等学校100周年

松商学園高等学校100周年の写真

松商学園高等学校創立100周年を記念して行なわれた、選抜大会の優勝校、横浜高校を招いての松商野球部との試合。横浜高校のエースは、もちろん、松坂大輔で、雨中の試合となりましたが、投げるボールはやはり天才を思わせる速さでした。(6月)

子育て支援ルーム

子育て支援ルームの画像

白板保育園内に開設された「子育て支援ルーム」。少子化、核家族化の進行で子どもや家庭を取り巻く環境は、大きく変化してきました。育児相談やサークルづくりを支援するもので、子どもを育てやすい環境の整備は、行政の大きな課題となりました。(6月25日)

槍ヶ岳開山170周年記念・4市長サミット

槍ヶ岳開山170周年記念・4市長サミットの写真

播隆上人が槍ヶ岳を開山したのが1828年7月23日といわれています。その開山170周年を記念して上人ゆかりの松本・犬山・各務原・美濃加茂の4市の市長が一同に会し、前年に開通した安房トンネルを活用した4市の新たな交流について意見を交換しました。 (7月17日)

窪田空穂記念館短歌会

窪田空穂記念館短歌会の写真

和田の出身の歌人窪田空穂の生家で開催された短歌会の模様。空穂の生家は、短歌会のほかにも、茶席、落語、講座など生涯学習の場としても活用されています。(7月)

行政改革懇談会

行政改革懇談会の写真

10年度の行政改革懇談会の模様。松本市では、国に先駆けて行政改革を断行、退職不補充方式により職員数を削減するなどの合理化に取り組み、その結果、県内一の財政力を誇り数々の大型事業を実現させて行きました。(7月)

青山さま・ぼんぼん

青山さま・ぼんぼんの写真

青山様とぼんぼんの様子。ぼんぼんとても今日明日ばかり~哀愁をおびたメロディは夏の風物詩でもあります。一方元気な掛け声の青山様。「青山様だ、わっしょいこらしょ、青山様だどっこいんじんじょ」、この掛け声が松本ぼんぼんの掛け声になりました。(8月)

押し花はがきコンクール(橋本聖子さん)

押し花はがきコンクール(橋本聖子さん)の写真

花いっぱい運動の一環として行っている押し花はがきコンクールの審査会の模様。ゲスト審査員には、スケートや自転車で松本とのつながりが深い、橋本聖子参議院議員も。(9月)

松本市文書館開館式

松本市文書館開館式の写真

市史編纂の過程で蒐集した資料や歴史的価値のある公文書を保存活用する目的で旧芝沢支所の建物に開館した松本市文書館。初代館長には、松本市史編纂室長の小松芳郎先生が就任しました。(10月1日)

新焼却プラント火入れ式

新焼却プラント火入れ式の写真

平成7年(1995年)の着工以来、387億円の巨費を投じた新焼却プラント。11年4月の本格稼動を控えて、試運転のための火入れ式が有賀市長と百瀬議長により行なわれました。(10月)

楽市楽座

楽市楽座の写真

やまびこドームで開催された「信濃の国・楽市・楽座}。四国便の開設と安房トンネルの開通にあわせて、愛媛・香川、岐阜・富山からも参加があり、県内はもちろん、全国の特産品を求めて大勢の人で賑わいました。(10月24・25日)

縄手通り・取り壊し作業

縄手通り・取り壊し作業の写真

戦後、道路の一部を占有する形で小店舗が並び形成された縄手通り、ふるさとの川モデル事業による女鳥羽川にあわせて、縄手通り街づくり事業で生まれ変わることになり、店舗の取り壊しが行なわれました。 (10月)

このページのトップに戻る

平成11年(1999)

松本広域連合設立記念式典

松本広域連合設立記念式典の画像

松本広域連合設立記念式典の写真

2月1日、松本広域連合が設置されました。松本平の19市町村、圏域人口42万人からなり、全国18番目、当時、全国最大規模の広域連合のスタートでした。松本地域では、4月1日にごみの共同処理を行なう「松本西部広域施設組合」、3市8町26村で構成する「中信農業共済組合」が発足したことから、松本市は平成11年を「広域元年」としました。(2月1日)

地域振興券集中配達セレモニー

地域振興券集中配達セレモニーの写真

景気、特に個人消費を喚起する対策として、公明党の提案に基づき発行された「地域振興券」。使用できる期間は、3月1日~8月31日の6か月間。地域振興券を取り扱うためには、市への登録が必要でした。松本市発行の振興券は、お城と太鼓門復元まつりをPRするデザインでした。(写真は2月25日の一斉郵送を前にしたセレモニー)

勤労者福祉センター・エレベーター起動式

勤労者福祉センター・エレベーター起動式の写真

3月10日、松本勤労者福祉センターにエレベーターが設置され、その起動式が行なわれました。勤労者フクシセンターは、立地のよさもあり、会議等で多くの市民のみなさんの利用がありますが、3階建てのためかこれまでエレベーターがありませんでした。人にやさしい街づくりをすすめるため県に働きかけて設置しました。(3月10日

松本駅歓迎門テープカット

松本駅歓迎門テープカットの写真

3月12日からの「国宝松本城太鼓門復元まつり」のオープニングを翌日に控え、松本駅構内に作られた、ミニ太鼓門の開門式が関係者の出席のもと行なわれました。(3月11日)

国宝松本城太鼓門復元記念まつり

国宝松本城太鼓門復元記念まつりの写真

昭和30年代から復元の計画があった松本城の正門、太鼓門が竣工したことを記念しての復元記念まつりがこの日スタートしました。太鼓門は、絵図面は残されていましたが、指図(さしず:設計図)が見つからずにいましたが、浅間の富士の湯で発見された指図が復元の決め手になりました。総工費は6億7千万円でした。(3月12日)

松本市北部福祉複合施設竣工式

松本市北部福祉複合施設竣工式の写真

4月1日、松本市北部の福祉の拠点「松本市北部福祉複合施設:ふくふくらいず」がオープンしました。このふくふくらいずには、福祉公社、北部保健センター、北部デイサービスセンター、松本市北部ヘルパーステーション、松本市ファミリーサポートセンター、城東公民館、市民課窓口が入り、まさに北の総合社会福祉センターです。(3月16日)

新焼却プラント及び関連施設建設工事竣工式

新焼却プラント及び関連施設建設工事竣工式の写真

4月27日オープンのラーラ松本。ラーラとはイタリア語で”翼”の意味。新焼却プラント(松本クリーンセンター)の余熱利用施設として、建設されたもので、総工費は約66億4千万円、海なし県に出現したラーラは市民の大人気をはくし、毎年コンスタントに40万人前後の利用客で賑わうようになりました。(3月21日)

さよなら中央公民館

さよなら中央公民館の写真

昭和41年6月竣工の中央公民館兼厚生文化会館。この年の3月、中央公民館の伊勢町Mウイングへの移転に伴い33年間の歴史に幕を降ろしました。閉館にあたっては「さよならイベント」も開かれました。市民会館にしても、この中央公民館や開智小学校にしても、昭和30・40年代の鉄筋コンクリートの建物の寿命の短さを感じます。(3月)

二子橋開通式

二子橋開通式の写真

3月23日、県道松本空港線にかかる二子橋の架け替え工事が終了、渡り初めが行なわれました。高宮・石芝と笹賀、神林、今井をつなぐ幹線道路の要衝の改良で交通渋滞の緩和が期待されました。(3月23日)

スズキメソード世界大会

スズキメソード世界大会の写真

第13回スズキ・メソード世界大会の開会式が県松本文化会館で行なわれました。松本での世界大会の開催は、1983年の第6回、89年の第9回に続き3回目で、1998年の鈴木鎮一先生逝去後、初めての世界大会になりました。(3月)

松本市営中央駐車場供用開始式

松本市営中央駐車場供用開始式の写真

4月14日には、女鳥羽橋と千歳橋の間に新たに架けられた中央大手橋の渡り初めが行なわれました。伊勢町と西堀を結ぶ道路は松本中央通りと名づけられ、駅前記念公園から松本城西へと抜ける新しい市街地の幹線道路が誕生しました。(4月14日)

中央大手橋開通式

中央大手橋開通式の写真

4月14日には、女鳥羽橋と千歳橋の間に新たに架けられた中央大手橋の渡り初めが行なわれました。伊勢町と西堀を結ぶ道路は松本中央通りと名づけられ、駅前記念公園から松本城西へと抜ける新しい市街地の幹線道路が誕生しました。(4月14日)

100円バス・タウンスニーカー運行開始

100円バス・タウンスニーカー運行開始の写真

4月18日、松本城周遊バス(百円バス、タウンスニーカー)の運行が始まりました。市街地をワンコイン(百円)で巡回する手軽さもあって、観光や市民の足として利用され、後にあがたの森方面を周遊する東コース、子どもプラザなど南部を周遊する南コースができ、このコースは北コースと呼ばれるようになりました。(4月18日)

ラーラ松本開館式

ラーラ松本開館式の写真

4月27日のラーラ松本開館式の写真。松本市の100年及ぶ歴史の中で、これ程、大型施設の竣工や新しい事業がスタートした月はなかったのではないかと思わせるほど、この4月は竣工式やスタート式が目白押しでした。(4月27日)

Mウイング竣工記念式典

Mウイング竣工記念式典の写真

4月29日にグランド・オープンしたMウイング(中央公民館)。こちらは英語で松本の翼の意味。中には、中央公民館、男女共生課・女性センター、中央保健センター、中央体育館、360名収用のホールなどの会議施設、花いっぱい事務局などが入り、中央西土地区画整理事業の中核施設として幅広く活用されました。(4月29日)

ユニチカ・サマーキャンペーンモデル・滝沢沙織さん

ユニチカ・サマーキャンペーンモデル・滝沢沙織さんの画像

4月30日、有賀市長を表敬訪問したのは、松本市在住で、ユニチカ・サマーキャンペーンガールに選ばれた滝沢沙織さん。この時は、信州工業高校の3年生でした。身長170cmを軽く超える長身で、松本市の観光ポスターなどでも市のPRに一役かっていただいています。(4月30日)

プロ野球・日本ハムvsロッテ

プロ野球・日本ハムvsロッテの写真

球場の柿落としの「巨人対ヤクルト戦」以来、8年ぶりに松本市野球場で、パ・リーグ公式戦「日ハム対ロッテ」が開かれました。カクテルライトの中、初戦は7本のアーチ競演。訪れた観客はプロのパワーとスピードを満喫しました。(5月)

ロッテの松本選手へプレゼント

ロッテの松本選手へプレゼントの写真

日本ハム・ロッテ戦で大活躍したのは、ロッテの内野手、松本尚樹選手。松本で松本選手が大活躍とは、作り話のようなホントの話。帰路につく、松本選手を松本駅で捕まえ(?)て、松村助役から松本てまりをプレゼント。(5月)

河野澄子さんのお見舞い

河野澄子さんのお見舞いの写真

平成6年6月27日の松本サリン事件から丸5年。第一発見者で誤認逮捕された河野義行さんの奥さん澄子さんを見舞う、有賀市長。呼びかけには反応するように見えることがあるものの意識は、あの日以来、戻りません。(市長の右は河野義行さん)

松本城太鼓門・黒門ライトアップ点灯式

松本城太鼓門・黒門ライトアップ点灯式の写真

8月6日、国宝松本城太鼓門復元記念まつりにあわせて、照明デザイナー石井幹子さんのデザインによるライト・アップがスタートしました。昼間ばかりでなく、夜のお城を楽しんでいただこうというもので、闇に浮ぶ白と黒のコントラストは、なかなかのもの、一度、おでかけください。(8月6日)

松商学園NHK全国放送コンテスト優勝報告

松商学園NHK全国放送コンテスト優勝報告の写真

松商学園高校の放送部は、平成8年以来、毎年のように放送コンテストで優勝を飾る、正に全国一の放送部。テレビ局顔負けで知られています。この年は、第46回NHK杯全国高校放送コンテスト、ラジオ番組部門「花さかおばさん」・テレビ番組部門「先生ってなんだ!!」の2部門で全国優勝・文部大臣賞に輝きました。(8月)

国宝四城サミット

国宝四城サミットの写真

9月25日、大のお城ファンという歌舞伎俳優・坂東八十助さんをゲストに迎え、姫路市、犬山市、彦根市、松本市の市長が一堂に会して、国宝のお城を活かした街づくりや交流・観光振興について意見を交換する「国宝四城サミット」が太鼓門復元記念まつり・秋祭りのイベントとして開催されました。(9月25日)

ジュサブロー人形展オープン

ジュサブロー人形展オープンの写真

11月13日~12月12日の会期で、国宝松本城天守1階特設会場で開催された「ジュサブロー人形展」。NHKの人形劇「新八犬伝」の人形でも有名な辻村寿三郎さんの武者人形など約80点が展示され、今にも動き出しそうな人形が多くの皆さんを魅了しました。(11月13日)

ネパールからの来客

ネパールからの来客の写真

有賀市長を表敬訪問しているのは、ネパール学生柔道連盟の副会長で、品川でネパール料理店を経営するパサン・ビスワカルマさん。カトマンズとの姉妹提携10周年を記念して、武道館を建設することが正式に決まり、スポーツ交流に話がはずみました。(11月)

筑摩野中学校吹奏楽部

筑摩野中学校吹奏楽部の写真

サイトウ・キネン・フェスティバル開催の影響やメンバーによる直接指導、楽器購入への市の補助、松本市内の学校での指導を希望する音楽の先生が増えたことなど、相乗効果で、この頃から複数の松本市の学校の吹奏楽部が全国規模の大会で金賞やグランプリに輝くようになりました。写真は筑摩野中学の吹奏楽部と指導の妹尾圭子先生。(右から4番目 11月)

総合計画100人委員会

総合計画100人委員会の写真

12月3日、第7次基本計画・松本市総合計画策定に向けた100人委員会の第1回会議が委員の委嘱を兼ねてMウイングで開催されました。100人委員会の設置は、幅広い市民意識を総合計画に反映させるために設置されたもので、市議会議員、町会関係者、知識経験者等で構成されました。(12月3日)

松本城での結婚式

松本城での結婚式の写真

太鼓門復元まつりの一環として、松本城本丸庭園が結婚式場になりました。築城400年を超える国宝の天守の前での誓いは、忘れられない思い出となったことでしょう。(10月)このページのトップに戻る

このページのトップに戻る

皆さまのご意見をお聞かせください

お求めの情報が充分掲載されてましたでしょうか?
ページの構成や内容、表現は分りやすかったでしょうか?
この情報をすぐに見つけられましたか?

松本市AIチャットボット