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松本城大手門枡形跡 2012年(平成24年)
大手門の跡、見つけた!!
堅固な防御施設・大手門枡形
大手門枡形(ますがた)跡は、松本城の総堀(一番外側の堀)に囲まれた三の丸の南端、現在の四柱神社の西側付近にあります。
松本城大手門は、三の丸への正面入口として堅固な防御施設が築かれていました。江戸時代の絵図では、大手門の前で一旦直角に東に曲がらないと三の丸の内側へ進めないように描かれています。その直角に曲がるようにつくられたのが、枡形という防御施設です。
枡形は、門の前面に、正面からは進入できない形の小規模な広場をつくり、敵軍を足止めして攻撃する仕組みになっています。
大手門めがけて南から攻め寄せた敵が女鳥羽川を渡っても、北側は大手門、西・東・南側の三方は総堀に囲まれており、さらに堀との境には塀が巡らしてあるため、城郭の防御に大きな効果があったと考えられます。
赤い点線で囲まれているのが大手門枡形
大手門の跡を示す出土品
松本市教育委員会では大手門枡形跡の発掘調査を2012年(平成24年)7月30日から12月28日にかけて実施しました。
その結果、枡形を囲む石垣の基礎や埋め立てられた堀の一部、堀の中に捨てられた当時の屋根瓦などが発見されました。
この調査の発掘地点は、以前はビルが建っていた場所で、地中の遺跡はビル建設の際に破壊されてしまったと思われていました。しかし、発掘を始めてみると、現在の地表の1~1.5メートル下から枡形の周囲を固めた石垣の下段の部分が現れました。発掘地点は枡形の東縁が総堀と接する場所にあたり、南北に30メートル近く石垣が続いている状態で出土しました。この石垣は、長さが50センチメートル以上もある巨大な石材を横長に積み上げて築かれていました。
また、枡形に接する総堀の一部も埋められた状態で発見されました。堀の中からは、堀を埋める際に一緒に捨てられたと思われる、大手門や塀の建築部材、屋根瓦や小石がたくさん出土しました。
大手門枡形石垣の東面(手前が総堀)
城主の家紋入りの瓦
枡形の東側の堀の中からは大量の瓦が出土しました。これらの瓦は、大手門や周囲の塀の屋根の上に葺かれていた屋根瓦で、明治維新の際に門を壊して堀を埋めるときに一緒に捨てられたものと推測されます。
瓦には紋様が付けられているものが多く、その中には歴代城主の家紋である、水野氏の「丸に立ち沢瀉(おもだか)」、戸田氏の「はなれ六ツ星」を付けている瓦も見られました。
「丸に立ち沢瀉」の家紋が入った瓦
現地見学会は大盛況
発掘調査の成果を市民の皆さんにご紹介するため、2012年11月3日に現地見学会を開催しました。
当日は晴天に恵まれ、折から行われた市民祭の人出も重なり、4時間で1,363人の皆さんが発掘現場を見学しました。発掘担当者の解説を聴いた皆さんからは、「こんな場所に遺跡が残っているとは思わなかった。」「この場所はこれからどうなるのですか。」「石垣はこのまま残して活用して欲しい。」など、さまざまなご意見・ご感想をいただきました。
現在、発掘調査で出土した遺構は保護土で埋め戻され、市民や観光客の交流スペースとして活用されています。
2023年(令和5年)10月には、新しい松本市立博物館がすぐ近くにオープンするので、より多くの方々が訪れるかもしれませんね!
発掘調査報告書
『松本城大手門枡形跡』松本市教育委員会 2015年<外部リンク>
クリックすると奈良文化財研究所の「全国遺跡報告総覧」にリンクします。
場所を地図で確認
大手門枡形跡<外部リンク>
クリックすると「松本デジタルまっぷ」の「遺跡地図」にリンクします。
「松本城」をもっと詳しく
国宝 松本城<外部リンク>
クリックすると「国宝 松本城」のホームページにリンクします。
ホームページ掲載日(初出)
2013年(平成25年)2月4日