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黒川堰追平隧道
更新日:2022年11月25日更新
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(読み方)くろかわせぎおいだいらずいどう
- 指定等区分 登録有形文化財
- 登録年月日 令和4年(2022)10月31日
- 種別 建造物
- 所在地 波田3622番4
- 所有者 東筑摩郡黒川堰土地改良区
- 時代区分 明治時代
コンクリート普及以前の隧道として貴重
黒川堰は、松本市西部、梓川右岸の波田地区竜島地籍にある農業用用水路の隧道で、下流の河岸段丘上、上波田・中波田・下波田及び山形村竹田を灌漑範囲とした。追平隧道は、12kmにわたる堰の一部にあたり、「黒川新堰工業組合」によって施工された明治31年(1898)から同34年(1901)にかけて造成された施設であり、当初は素掘隧道と推定される。全長246mのうち下流出口側37m(20間)は自然石による巻き立てがされており、風化による落盤を防止するための防護対策として脆弱性を補う意図があったと考えられる。高さ1.3 メートル、大正期に石積改修し、切石積アーチ構造とした。側壁は現場の岩を利用し、アーチ部は梓川の花崗岩等が利用されている。
昭和 46年(1971)に始まった国営中信平農業水利事業により整備された右岸上段幹線によって、梓川本流の水が導水されたことにともない黒川よりの水利権を消失し、農業用用水路としての役目を終えている。コンクリート普及以前の隧道として貴重である。