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續麻・今井(兼平)神社〔4棟〕

更新日:2022年11月18日更新 印刷ページ表示

(読み方)つうそ・いまい(かねひら)じんじゃ(つうそしゃ、かねひらしゃ、しんめいしゃ、かぐらでん)

  • 指定等区分 登録有形文化財
  • 登録年月日 令和4年(2022)10月31日
  • 種別    建造物
  • 所在地   大字今井1077番地
  • 所有者   宗教法人 續麻神社兼平神社
  • 時代区分  江戸時代

二つの本殿の向拝は彫刻で華やかに飾られる

續麻・今井(兼平)神社は、松本市今井の上今井地区に所在する神社である。今井地区の上今井(上新田・堂村・中村・中沢・下新田・境新田)の氏神であり、明治5年(1872)には村社に列した。秋祭りには五つ灯篭をあげる祭礼が盛大に執り行われるなど、伝統的ないとなみが今も息づいている。
境内は集落の中央付近にあり、境内は周囲を社叢に囲まれている。この地域の今井という地名は、木曽義仲の乳母子で最期まで従った今井四郎兼平に由来するものであり、境内地のあるこの場所に今井兼平の館があったと伝わる。境内地は広く、鳥居の奥に神楽殿を構え、その脇に宝蔵や社務所を構える。その奥に拝殿を構え、さらにその奥に結界を設け、正面に向かって左側に兼平神社と右側に續麻神社を安置する。また、結界の左側には神明社も安置する。昭和22年に續麻神社と今井(兼平)神社が合祀される以前、元々この場所は今井(兼平)神社の境内地であった。
現在も境内地には、歴史的経緯のなかで整えられた建造物群がのこり、旧来の歴史的景観を伝えている。なかでも、續麻社と兼平社と神明社と神楽殿はその中心的な建造物であり、續麻・今井(兼平)神社の歴史のみならず、当地域の歴史を物語る重要な遺産である。

續麻社

續麻社は、拝殿の背後の右側にたつ社殿であり、栲幡千々姫命を祀る。昭和22年(1947)に續麻神社と今井(兼平)神社が合祀される以前、續麻神社の境内地は元々別の場所にあった。續麻社はその本殿にあたるものであり、合祀にともなって旧境内地から現在地に移築された。建築様式及び棟札より、安政6年(1859)の建設とわかる。
一間社流造の形式で、屋根を銅板葺き(もと柿葺きと推定)、壁を落とし板とする。身舎(内陣と外陣の二間)の前面に向拝をつけ、周囲には縁を回わし、前面には階と浜床を設ける。境内地における中心的な施設であり、保存の状況がよく当初の姿をのこしており、当社の歴史を伝える重要な建造物である。

兼平社

兼平社は、拝殿の背後の左側にたつ社殿であり、今井四郎兼平と誉田別命(元文5年(1740)に合祀)を祀る。昭和22年(1947)に續麻神社と今井(兼平)神社が合祀される以前、元々この場所は今井(兼平)神社の境内地であった。兼平社はその本殿にあたる。建築様式及び棟札より、天保4年(1833)の建設とわかる。一間社流造の形式で、屋根を銅板葺き(もと柿葺きと推定)、壁を落とし板とする。身舎(内陣と外陣の二間)の前面に向拝をつけ、周囲には縁を回わし、前面には階と浜床を設ける。現在の境内地における中心的な施設であり、保存の状況がよく当初の姿をのこしており、当社の歴史を伝える重要な建造物である。

神明社

續麻・今井(兼平)神社の神明社は、續麻社と兼平社の左手に立つ社殿である。祭神は兼平社に合祀されており、現在は空殿である。神明社の境内地は、元々別の場所にあったが、大正4年(1915)に續麻神社に合祀され、續麻神社の旧境内地に移築された。その後、昭和22年(1947)には、續麻神社と兼平神社の合祀にともなって現在地に移築された。建築様式及び棟札より、安永9年(1780)の建設と推定される。一間社切妻見世棚造の形式で、屋根を鉄板葺き(もとが茅葺きであったか、板葺きであったか定かでない)、壁を落とし板とする。身舎(内陣と外陣の二間)の前面に棚を設ける。昭和22年(1947)の棟札によれば、神明社には疱瘡社と浅間社も合祀されていたようで、社殿内部には浅間社と推定される小規模な宮殿も置かれている。現在は空殿であるが、保存の状況がよく当初の姿をのこしており、当社の歴史を伝える重要な建造物である。

神楽殿

神楽殿は、境内地の中央にたつ舞台である。元は、續麻神社の旧境内地にあった神楽殿であり、昭和22 年の續麻神社と今井(兼平)神社の合祀にともなって、現在地に移築されたと伝わり、建築様式及び棟札より、嘉永6年(1853)の建設とわかる。この地域に多く見られる吹き放ちの神楽殿で、入母屋造りの瓦葺き屋根をのせる。​昭和22年(1947)移築の際に茅葺き屋根から瓦葺き屋根へと変更され、現在の姿となったと推定される。往時の姿をよく伝えており、素朴ながらも境内の歴史的景観を構成する建造物として重要である。


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