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十王像 附 司命司録
十王像(牛伏寺)
指定等区分 松本市重要文化財
指定年月日 昭和37年(1962)8月31日
種別 彫刻
所在地 松本市内田2573
所有者 牛伏寺
時代区分 室町時代
冥府の王が勢ぞろい
平安時代の中頃から極楽往生を願う阿弥陀信仰がさかんになるにつれ、一方では地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道輪廻(りんね)の思想が強まり、衆生は死後冥府に行き、生前の罪悪を十王に裁かれるという思想が流行してきました。十王には各分担があり、初七日・二七日・三七日・四七日・五七日・六七日・七七日・百ケ日・一周忌・第三年と分けて順次各王ごとに苛烈な裁断を下すとされています。司命・司録はその書記役です。十王の中では閻魔(えんま)王が最も恐れられていました。
十王信仰はもともと中国の道教的な思想から発展したものといわれるだけに、着衣も中国的な道服に法冠をつけた忿怒(ふんぬ)の姿に造像され描写されています。
牛伏寺の十王像10躯と司命・司録像はいずれも檜(ひのき)材の寄木造で胡粉彩色がしてあります。像高は次のとおりで、この地方の十王像としては大振りで珍しいものです。
- 秦広王 83cm
- 初江王 85cm
- 宗定王 83cm
- 五官王 84cm
- 閻魔王 90cm
- 変成王 85cm
- 太山王 79cm
- 平等王 81cm
- 都市王 84cm
- 転輪王 85cm
- 司命 92cm
- 司録 92cm
また、いずれの像も胎内外に墨書銘が残っています。例えば閻魔王の場合、背中の下部に次のように書かれており、他像もほぼ同様のことが書かれています。
- 梵字「カ」 地蔵 五七日 閻魔王
- 慶長十七年壬子七月八日 炎上之砌 憲康法印 誌之
梵字(ぼんじ)とはインドの古語サンスクリット文字のことで、「カ」の文字は地蔵菩薩を示しています。地蔵菩薩は、閻魔王の別の姿とされていることから、このように記入されていると考えられます。また、「憲康法印」とは中興開山から三世の住職です。牛伏寺の大火は慶長17年(1612)3月6日でしたので、それからおよそ4カ月後に書かれたと考えられます。
石造の十王像や江戸時代末ころ市販された十王像などは、この地方でもみかけることが多いですが、室町時代の十王像の例は牛伏寺よりほかになく、貴重な文化財です。
地獄の冥府は閻魔庁と称し、その長官が閻魔王です。閻魔庁には、生前の罪悪をすべて映し出す浄玻璃(じょうはり)の鏡が据えられ、裁判記録に閻魔帳が置かれています。また地蔵菩薩が臨席し、奪衣婆(だつえば)が末席に坐っているとされています。
見学の際は
十王像は、かつては牛伏寺境内の十王堂にありましたが、現在は他の指定文化財の仏像とともに奥殿へ収蔵されています。
見学等については、牛伏寺(電話0263-58-3178)にお問い合わせください。