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刀銘枩代藩吉原一菴直行佩刀 明治元年十月日兼虎

更新日:2022年2月21日更新 印刷ページ表示

(読み方)かたな めい まつしろはん よしはらいちあんなおゆきはいとう めいじがんねんじゅうがっぴ かねとら

  • 指定等区分 県宝
  • 指定年月日 昭和42年5月22日
  • 種別 工芸品
  • 所有者 個人
  • 時代区分 明治時代

信州の武士のために刀作りを続けた山浦一門の名品

山浦一門とは、創始者が山浦真雄(やまうらさねお)で、弟の清磨(きよまろ)とその門下、真雄の子の兼虎(かねとら)たちによって構成されています。

兼虎は文政8年(1825)に信州小県郡赤岩(現在の東御市滋野)に生まれ、11歳の頃から剣術を習いその道を志していましたが、26歳の時には刀鍛冶となることを決意しました。
しかし、廃藩置県などの行政改革により武士そのものが消亡したため、兼虎は最盛期に鍛造を諦めざるを得ない不運の刀工となりました。明治5年の作品が最終作で、包丁などの打ちもの渡世をすすめられましたが頑なに聞き入れず、その後鍛刀することはありませんでした。

本刀の刀紋は互の目乱れの沸出来で、刀中に砂流しかかり、帽子は先尖り小丸に深く返っています。このページのトップに戻る


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