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木造聖観音立像二十躯

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)もくぞう しょうかんのん りゅうぞう にじっく

  • 指定等区分 市重要有形民俗文化財
  • 指定年月日 平成18年(2006年)3月27日
  • 種別 信仰に用いられるもの
  • 所在地 松本市五常5756-ロ
  • 所有者 西北山集落
  • 時代区分 江戸時代

山居作 万体之内の二十躯

木食山居(もくじきさんきょ)は、江戸時代中期の木食僧で、厳しい木食の修行の中でたくさんの仏像を彫りました。
山居は、現在の松本市の生まれで、上水内郡の虫倉山(むしくらやま)の山麓で木食の修行に入り、万体仏の造仏を発願し、北信、中信に数多くの仏像をのこしています。彼はいつも庶民の側に立ち、念仏の尊さを説き、造仏に生涯をかけた木食僧です。
本像は、西芳寺(五常西北山)が廃寺になる時に、現在の堂平薬師堂へ移されたという伝承を持っています。この山居作の二十躯の聖観音像は、桂の一木に彫刻され、像高18.5cm~19.8cmで、表面に漆箔を施してあります。像の背中には墨で、「万体之内 山居作」とかかれており、木食山居が虫倉山中で、木食修行を行った頃を中心に刻まれたものと考えられ、江戸時代中期の作と推定できます。
本像は小像ですが、桂の木片を素材として蓮華座(れんげざ)まで共彫りし、像容は両腕を屈臂し、蓮華座に直立する姿態を示しています。頭部は宝髪で、無文の帯状の天冠台を刻む以外に毛筋を彫ってありません。面貌は穏顔でやさしい表情を示し、衣文は筋目を陰刻で簡潔に刻むだけです。この明快なノミさばきは、山居の技量の非凡さを物語っています。
各像に施された漆箔は、現状では剥落が進んでいます。また一躯一躯にしつらえた舟形光背や台座の框座(かまちざ)にも同様に漆箔が施されています。光背や台座の中には欠損したり、失われてしまったものもあります。さらに像自体の損傷も進んでいますが、これだけ数多くの山居仏が、まとまって薬師堂に安置されていることは、大変珍しく貴重です。このページのトップに戻る


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