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安塚第6号古墳

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)やすづかだいろくごうこふん

  • 指定等区分 松本市特別史跡
  • 指定年月日 平成24年11月2日
  • 種別 遺跡
  • 所在地 松本市新村1042
  • 所有者 個人
  • 時代区分 古墳時代

追葬を想定した特徴ある古墳

安塚古墳は、元禄14年(1701年)の古絵図にも「西安塚」として3基の古墳が描かれるなど、古くからその存在が知られていました。その一方で塚田、塚畑などの小字からは、古墳が水田や畑として開発され壊されてきたこともうかがえます。安塚の地名は「八十塚(やそづか)」に由来し、多くの塚があったためと伝承されています。また、東の秋葉原にも同様の古墳が5基確認されています。

昭和53年(1978年)に行われた県営圃場整備事業に伴う緊急発掘調査により、9基の古墳の調査が実施されました。古墳の築造時期は8世紀前半とみられ、これまで開発時期が新しいとされていた新村地区に、古代には奈良井川左岸の集落の水源を抑える有力氏族がいたことが明らかになりました。発掘調査後に現地保存された第6号古墳は古墳群のなかでは最も南に位置し、人骨や坏(つき)などが出土しています。石室は立石により3室に分けられ、奥壁の鏡石も残存し、蓋石とも思われる大きな石が落ち込んでいました。石室の全長は8.1m、同全幅は1.2~1.8mありました。
この古墳は、地表下に梓川の石を用いて横穴式石室を構築した終末期古墳で、無袖式の長大な3室に区切られた石室は追葬を想定した家族墓的性格があり、この地方の特徴ある古墳として貴重なものです。このページのトップに戻る


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