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稲倉城跡

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)しなぐらじょう あと

  • 指定等区分 松本市特別史跡
  • 指定年月日 昭和57年12月20日
  • 種別 遺跡
  • 所在地 松本市稲倉1510ほか
  • 所有者 個人
  • 時代区分 戦国時代

府中北方の鎮城

稲倉城跡は稲倉集落の北方に位置する尾根上に約500mにわたって築城された山城で、浅間郷を領有していた赤沢氏の本城です。 主郭は標高1000mの地点に設けられ、南西に5段の帯郭(おびくるわ)があり、その先は空堀(地元では大堀とよんでいます)に達しています。大堀をはさんで西斜面にも帯郭が設けられており、この南側には物見台があります。この物見台から急斜面を南に下ると平坦なわらび平に至り、ここにも郭が数カ所置かれています。
この城を築いた赤沢氏は、小笠原氏の分家で初代清経が鎌倉時代の初め頃に伊豆国田方郡赤沢郷の地頭となり、その地名をとって赤沢氏を称しました。
赤沢氏が浅間郷に入った時期ははっきりしませんが、正平10年(1355年)の桔梗ケ原(ききょうがはら)の戦では、小笠原軍の中に赤沢氏の名が見えるのでこの頃にはすでに浅間郷にいたものと推定されます。稲倉城の築城時期も判然としませんが、戦国時代初期頃と推定されます。このページのトップに戻る


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