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了智上人の墓

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)りょうちしょうにんのはか

  • 指定等区分 松本市特別史跡
  • 指定年月日 昭和42年2月1日
  • 種別 遺跡
  • 所在地 松本市島立4900 (薬師堂境内墓地)
  • 所有者 個人
  • 時代区分 鎌倉時代

弥陀(みだ)の名号(みょうごう)唱えつつ詣る

了智上人(りょうちしょうにん)は、俗名を佐々木四郎高綱という近江(現在の滋賀県)出身の武士であったとされます。 佐々木高綱は、源頼朝に仕えて軍功があり、ことに寿永3年(1184年)木曽義仲追討の宇治川の戦いのとき、梶原景季と功を競って先陣の名乗りを上げたことで知られます(平家物語・源平盛衰記・吾妻鏡等)。鎌倉幕府成立後出家し、親鸞(しんらん)上人の門に入り各地を修業、当地において浄土真宗正行寺を開創したと伝えられ、現在地に墓地があります。

墓地は江戸時代に改修され、墓石を中心に松・栗・柏(かしわ)・菩提樹(ぼだいじゅ)が植えられ、献納の石燈籠が建てられ、整然としています。墓石は、台石の高さ0.4m、横1.78m、碑高2.05mの自然石で、次のような銘文があります。
(表)釈了智上人
(裏)佐々木四良高綱
承久三年辛巳十月廿五日このページのトップに戻る


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