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中山古墳群

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)なかやま こふん ぐん

  • 指定等区分 松本市特別史跡
  • 指定年月日 昭和42年2月1日
  • 種別 遺跡
  • 所在地 松本市中山地区一帯
  • 所有者 個人
  • 時代区分 古墳時代

松本平有数の古墳群

旧中山村村内に所在する古墳すべてを中山古墳群としています。昭和15年(1940年)に戦前の長野県史跡に指定されたときのなごりで、狭義にとる場合は、霊園・公園となっている丘陵南麓斜面の鍬形原(くわがたはら)・蟹堀(かにほり)・西越(にしこせ)地籍と、隣接している坪の内・向畑地籍にある群集墳を指します。

古墳の築造は5世紀代に始まり、6世紀後半から7世紀にかけてさかんに築かれ、8世紀に入っても利用されていました。その数は明治初年にあって80余基といわれています。ほとんどは規模の小さな円墳で、5世紀に造られた古墳の内部は石室がなく、粘土床上に木棺を直葬したと考えられていますが、6世紀以降のものは、追葬可能な横穴式石室に変わっています。

副葬品は武器・馬具・装身具・土器で、武器の中には円頭・頭椎柄頭(かぶつちつかがしら)や倒卵形鐔(とうらんけいつば)を具えた金銅製の大刀が必ずといってよいほどに入っています。馬具は轡(くつわ)・鞍・鐙(あぶみ)など騎乗のために必須の用具が大部分で、特に轡の数が多いです。装身具は勾玉(まがたま)・管玉(くだたま)・切子玉・丸玉・小玉と金環があります。土器は喪葬用の須恵器(すえき)がほとんどです。例外的ですが、鏡を出土している古墳もあります。

中山霊園内で保存されている15号古墳はマウンド(盛土)の裾を石垣上に組み上げた方墳で、一辺の長さ20m、墳高も5m等と大きいものです。正面性がきまっていて前庭部は丁寧に作られています。マウンドは固く盛られていますが横穴式石室の構築は粗雑で、裏込めの施設などはまったくありませんでした。早くから開口していたために副葬品の内容はわかりませんが、辛うじて残っていた土器の破片から築造年代は7世紀後半と推測されています。すでに律令時代で戸籍も編まれていたこの時代に、規模の大きい古墳が築かれていることは、当時のこの地域の様子を考える上で大変興味深いことです。このページのトップに戻る


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