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元寺場跡

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)もと てらば あと

  • 指定等区分 松本市特別史跡
  • 指定年月日 平成24年3月26日
  • 種別 遺跡
  • 所在地 松本市波田(水沢国有林237-ほ、へ、と、ち)
  • 所有者 林野庁
  • 時代区分 平安時代、室町時代後半~戦国時代

若澤寺(にゃくたくじ)の前身、山岳信仰の遺構

元寺場跡全体図の画像
元寺場跡全体図

波田地区にある白山(1372m)の山頂から少し下った、標高1250m付近に元寺場跡はあります。若澤寺の前身と伝えられ、人工的に切り開かれた平場には堂跡の礎石が残り、神仏一体で信仰された時代に、山岳信仰のためにつくられた山岳寺院跡と考えられます。
元寺場跡は大きく4つの平場で構成され、若澤寺跡から続くとみられる参道が、白山方面へと延びています。遺跡の中心部と考えられる平場1には、柱間5間×5間の礎石が整然と配置された基壇があり、五間堂と呼ばれる、地方における密教寺院の本堂の形式に該当しています。また、東側の礎石がない部分は外陣、中央の礎石がない2間×3間の部分は内陣と推定されます。
この北側にもう一つ基壇がありますが、礎石は確認されていません。この基壇の西側の倒木の根元から、鎌倉時代の古瀬戸瓶子と四耳壺(松本市重要文化財)が出土しています。また平場4、平場2では建物跡は確認されていませんが、平場3では4間×5間の礎石建物跡が見つかっています。

平成11年度から3カ年にわたり試掘調査が行われ、少なくとも平安時代と室町時代後半から戦国時代に人が常駐していたと推定されています。出土遺物は数は少ないものの9世紀後半のもので、寺院に関わる灯明皿や硯は11世紀前後のものです。伝承では、室町時代の長禄2年(1458年)にはすでに若澤寺に下ったとされていましたが、それ以後も何らかの利用があったと考えられます。
大きく4つの平場から構成される東西約75m、南北約140mの大規模な伽藍が、15世紀なかごろに白山の下に完成しました。基壇上の礎石立ちの建物は、江戸時代の記録に見える「峯白山権現堂」である可能性が高く、白山信仰などこの地の古代から中世にかけての山岳信仰を知る遺構として貴重です。このページのトップに戻る


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