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水野家廟所

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)みずのけびょうしょ

  • 指定等区分 松本市特別史跡
  • 指定年月日 昭和55年3月18日
  • 種別 遺跡
  • 所在地 松本市大村684-ロほか(玄向寺墓地隣地)
  • 所有者 (管理者)玄向寺
  • 時代区分 江戸時代

玄向寺に水野のお殿様をまつる

藩祖忠清公ほか9つの五輪塔

水野家は寛永19年(1642年)から享保10年(1725年)に至る6代82年にわたって松本城主でした。当初水野家の菩提寺(ぼだいじ)は城下町の本町にあった春了寺であり、大村の地にある玄向寺は墓守寺でした。
玄向寺の前身は念仏寺といい、下浅間の薬師堂のあたりに永禄4年(1561年)に創建された道場でした。現在地に移ったのは寛永2年(1625年)で、この時に帰命山清光寺と改められました。寛文9年(1669年)、水野家第3代水野忠直が本堂以下の廟所を設け、父忠職(ただもと)の法名「信誉上昌玄向大居士」からとって上昌山玄向寺となりました。

最古の石鳥居と玉垣に守られて立ち並ぶ

玄向寺の参道を上へ、立ち並ぶ札所観音を横に見ながら歩くと廟所にたどり着きます。
正面には、忠直が廟所の造営に着手した寛文9年に建立した石の鳥居が建ちます。この鳥居は松本地方で一番古いものです。廟所には高さ3mを超える五輪塔9基が立ち並び、周囲には石垣根をまわし、大名家の廟所にふさわしい雰囲気が漂います。
まつられているのは、松本水野家藩祖水野忠清(真珠院)及び同室(福寿院)、2代忠職(道樹院)及び同室(春陽院)、3代忠直(賢徳院)及び同室(柔軟院)、4代忠周(ただちか 智徳院)及び同室(智清院)と5代忠幹(ただもと 徳本院)で、遺骸を納めるのは忠清の塔のみとされています。
6代忠恒は改易となって松本から去ったため、供養塔もここにはありません。このページのトップに戻る


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