本文
廣澤寺の小笠原家墓所
更新日:2021年12月20日更新
印刷ページ表示
(読み方)こうたくじ の おがさわらけ ぼしょ
廣澤寺の小笠原家墓所
- 指定等区分 松本市特別史跡
- 指定年月日 昭和61年3月13日
- 種別 遺跡
- 所在地 松本市里山辺5112-イ
- 所有者 廣澤寺
- 時代区分 江戸時代
大坂夏の陣で討ち死にした父子が眠る
松本城主小笠原秀政・忠脩(ただなが)父子の墓所で、小笠原氏の菩提寺であった廣澤寺開山堂背後の山中にあります。
小笠原父子は元和元年(1615年)の大坂夏の陣で討ち死にし、京都で火葬されました。同年8月、松本城下埋橋(うずはし)の臨済寺(後の宗玄寺)近郊において葬儀が営まれ、秀政は臨済寺に、忠脩は家臣とともに浅間大隆寺跡に建てられた法性寺墓地に葬られました。その後寛保3年(1743年)3月に水害のため骨灰を現在地に移したものです。
墓所には五輪塔が2基建てられています。向かって右が秀政、左が忠脩の五輪塔です。 法名は次のように彫られています。
- 兩選院殿義叟宗玄大居士(秀政)
- 法性寺殿正甫宗中大居士(忠脩)
秀政の法号が兩選院殿となっており、御殿山小笠原家廟所にある法号と異なっています。これは、はじめ臨済宗で後に曹洞宗に改宗し、両宗を用いたことにちなみ、後で改められたものと思われます。
なお、本郷地区浅間温泉の御殿山にも、小笠原貞慶(さだよし)・秀政・忠脩の三代の廟所があり、「御殿山小笠原家廟所」としてこちらも松本市特別史跡に指定されています。