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旧上神林村高札場

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)きゅう かみかんばやしむら こうさつば

  • 指定等区分 松本市特別史跡
  • 指定年月日 平成21年12月22日
  • 種別 遺跡
  • 所在地 松本市神林1905
  • 所有者 松本市
  • 時代区分 江戸時代

村人へ、江戸時代の掲示板

高札場とは、江戸幕府が基本的な禁令や法令の徹底を図るために、主要な法令を板札に墨書きして、庶民の目につくように掲示した場所です。
松本藩で高札場が置かれたのは、水野氏第四代水野忠周(ただちか)の享保元~4年(1716年~1719年)ころで、各村の旧庄屋宅前や交通の要衝に、キリスト教の禁止、博奕(ばくえき)の禁止、火付、忠孝等の制札が掲げられました。

この高札場は旧上神林村の千国街道沿いにあり、街村(町)を形成している集落の中ほどやや北寄りに位置します。敷地は、南北9.5m、東西7.7m、面積約73平方メートルを測ります。高札は高さ約3mで、主な柱3本は15cm四方のものが用いられていて、屋根は切妻で、懸魚(げぎょ)が付いてます。周囲に巡らされている柵は、高さ105cmを測ります。
建築年代は不明ですが、天保13年(1843年)に、前百姓が役人層を相手取って、松本御役所へ訴訟を起こした中に「村内にある高札場の修理をもう15・6年前から行っていない。」という文書があることから、修理を必要とする以前の年月を考えると、この時よりある程度前には建てられていたと考えられます。
松本市内で、江戸時代の高札が当時の場所にあるのは旧上神林村高札場のみであり、地元の町神(まちかん)町会の方々によって大切に守られています。このページのトップに戻る


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