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波多山城跡

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)はたやまじょう あと

  • 指定等区分 松本市特別史跡
  • 指定年月日 平成23年3月22日
  • 種別 遺跡(城跡)
  • 所在地 松本市波田8946ほか
  • 所有者 個人(共有)
  • 時代区分 室町時代~戦国時代

飛騨・木曽方面の境を固め、対岸に備える

波多山城の主郭は、南北の長さ44m、東西の幅8~16mの長方形で、四方の縁は土塁になっています。南寄りに井戸の跡と呼ばれる窪みが有り、昔は水が湧き出していたといわれています。中央に秋葉神社の小祠が祀られていたので、別名秋葉城とも呼ばれていました。
『波田町誌』によれば、寛正3年(1462年)頃に、守護小笠原氏の一門櫛木市正一俊が、波多郷地頭になり、西光寺内城と波多山城を築き、飛騨・木曽方面の境を固め、対岸(梓川地区)の西牧氏に備え、子息紀伊守政盛まで二代在城したとされています。
戦国時代には、小笠原長時の旗下波多数馬が城主でしたが、武田氏に敗れた後は、甲州の深志城代日向大和守によって、天文21年(1552年)山城と内城が破却されました。このページのトップに戻る


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