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横沢の御柱とスースー

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)よこざわ の おんばしら と すーすー

  • 指定等区分 市重要無形民俗文化財
  • 指定年月日 平成27年(2015年)12月25日
  • 種別 風俗慣習
  • 所在地 松本市梓川倭 横沢町会
  • 所有者 横沢中御柱保存会、横沢第2町会西下

スースー ドウソジンノ オンマエモウス

 塩尻市北部から、松本市、安曇野市にかけての地域では、毎年正月に「御柱」または「おんべ祭り」と呼ばれる行事を実施する地区が点在しています。これらはおもに道祖神が祀られている場所に五色の紙や飾り物で彩られた柱を立て、五穀豊穣や家内安全などを祈るものです。
 松本市梓川倭の横沢町会では、次の2箇所で御柱を立てています。
「中」(なか)・・・・・旧梓川村倭12区及び13区の一部
「西下」(にしじも)・・旧梓川村倭14区の西下集落

正月2日の柱立て

 柱立ては、1月2日に行われます。「中」は横沢神社南側の路傍で道祖神を祀っている場所、「西下」は集落西側の三叉路で道祖神を祀っている場所に御柱を立てます。御柱は1月20日ころの休日に倒され、飾られているシデ(五色の紙で作られた小型の飾り物)などはその場で焼かれます。
 「中」では、柱立ての朝に「スースー」と言われる勧進(寄付金集め)が行われています。子どもたちが五色のオンベ(御幣形の道具)を持って「スースー ドウソジンノ オンマエモウス」と唱えながらお金を集めて家々をまわり、「今日はオンバシラを立てるから集まってください」と触れて歩きます。かつては、「スースー」で集めたお金を、御柱に飾りつけるオンベの材料費にしたといいます。

伝えられてきた行事

 横沢の御柱の由来は『梓川村誌』にも記載がなく、その起源は不明です。
 「中」の御柱は、昭和36年(1961年)に一旦中断しましたが、子どもたちによる「スースー」は続けられてきました。その後、平成2年(1990年)に有志の人たちによって行事は復活し、現在まで続けられています。
 「西下」では、行事を部分的に簡略しながらも、現在まで一貫して続けられています。
 市内で行われているほかの御柱、あるいは周辺地域の御柱と同じように、地域の方々が中心となって行事を伝えてきたこと、また「スースー」という御柱の材料費を集めるための勧進行事が今も続いていることは、この地の貴重な習俗といえます。このページのトップに戻る


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