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内田のササラ踊り

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)うちだ の ささら おどり

  • 指定等区分 市重要無形民俗文化財
  • 指定年月日 昭和51年(1976年)10月21日
  • 種別 風俗習慣
  • 所在地 松本市内田
  • 所有者 内田ササラ踊り保存会

やまふところで伝承される素朴な踊り

献上馬を送り出す身振りと手振り

内田のササラ踊りは、はるか昔、この地に官牧が置かれたことから、人々が育んだ献上馬を送り出す時の「身振りと手振り」が始まりといわれます。また、のちに牛伏寺(ごふくじ)の信仰とかかわりをもったといわれます。かつてこの地域周辺ではササラを用いた踊りが多くおこなわれましたが、現在はこの内田と塩尻市の南内田などでしか伝承されていません。
かつてこの踊りは8月7日の七夕の頃から常楽寺などの庭で二重三重に輪を作って踊り始め、16日の晩には牛伏寺まで登り、若い衆は夜を徹して踊りあかしたといいます。翌日からは他の寺院で踊り、23日頃に塩尻の永福寺で踊り納めをしたといいます。その後、牛伏寺から離れて周辺の寺院で踊られましたが、若者の離村とともに衰退気味となり、お盆を中心に常楽寺の庭で踊るようになりました。現在は、毎年お盆の時期に市役所内田出張所の駐車場で踊られています。
踊りは素朴で歌が始まればそれに合わせ、ササラをすりながら自然に踊り出し、特に順序はありません。歌は昭和11年(1936年)に時代に即応した歌詞を村民から募集し、その折りに作られた「内田小唄」を歌います。

地域ぐるみの保存体制

ササラ踊りは、昭和初年までは内田の若い衆によって伝承されてきました。当時、若者の離村等で踊りが衰退したので、昭和11年、内田踊り復興会が結成され一時的に活況を呈しました。その後、青年団などが主体となって踊りを伝承し、市の文化財指定を機に、保存会が結成されました。保存会では小学校4年生から6年生までの男女を対象に、年間を通して歌と踊り方の指導を積極的におこない伝承に努めています。このページのトップに戻る


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