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入山辺中村の風邪の神送り

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)いりやまべ なかむら の かぜ の かみおくり

  • 指定等区分 市重要無形民俗文化財
  • 指定年月日 平成8年(1996)2月8日
  • 種別 風俗習慣
  • 所在地 松本市入山辺中村
  • 所有者 入山辺北入中部町会中村地区

粕念仏と百足で無病息災を祈る

百万棒で鉦(かね)をたたき百足を先導

2月8日の夕方、公民館に男女小学生とPTAの役員、集落の年番が藁(わら)を持ち寄ります。まず大人が戸外で藁をすぐった後に綱撚(よ)りをして、「追い出し」などとよぶ百足(むかで)を作ります。百足は厄病神に見立てたもので、長さ5~6mほどです。その間、母親たちは台所で温かい粕汁を作ります。子どもたちは少し手伝った後、公民館で粕汁を食べます。作り終えると百足にその年の上級生が乗り、それを他の小学生と大人が「ナンマイダンボ、ナンマイダンボ」と念仏を唱えながら引きます。この時、下級生の一人が百万棒で鉦(かね)をたたきながら先導します。集落境の六地蔵まで百足を引き、そこでぐるぐると巻いて道端におき、厄病神を送り出します。この後、子どもの一人が「後ろ見ちゃいけないんだぜ。」と一声をかけます。せっかく送り出した厄病神がついて来るといって、大人も子どもも一目散に公民館に戻ります。公民館では大人が粕汁を食べながら、慰労会をおこないます。粕汁を食べることなどから粕念仏などともよばれます。

加助念仏から粕念仏へとの伝承も

この行事の始まりは明らかではありませんが、江戸時代中期、松本藩で起きた加助一揆に関係し、悲劇の主人公である中萱加助(なかがや かすけ)の霊を慰める「加助念仏」が転化して粕念仏になった、という伝承もあります。戦前は男子小学生だけでこの行事をおこない、長さ30mほどもある百足を作ったこともあったといいます。
なお、隣の集落、千手(せんぞ)でも昭和30年(1955年)頃まで中村と同様の、粕念仏とよぶ行事をおこなったといいます。このページのトップに戻る


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