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和田神社本殿

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)わだじんじゃ ほんでん

  • 指定等区分 松本市重要文化財
  • 指定年月日 平成11年(1999年)3月4日
  • 種別 建造物
  • 所在地 松本市和田2687
  • 所有者 和田神社
  • 時代区分 江戸時代

匠が作りし和田の地をまもる神々の住処

和田神社は、諏訪大明神・宗高大明神・八幡神をまつる旧和田村の村社です。
和田神社の現在の本殿造営については史料が残されており、寛政12年(1800年)に名工・立川和四郎富棟の一番弟子小松七兵衛によって造営されたことがわかっています。
小松七兵衛は生没年は不明ですが、立川和四郎富棟とともに下諏訪町の国重要文化財の諏訪大社下社秋宮幣拝殿や辰野町の県宝矢彦神社拝殿、同じく和田の松本市重要文化財無極寺本堂など立川棟梁の下で多くの寺社を造営しています。
和田神社本殿は間口9尺5寸の規模の二間社流造(にけんしゃながれつくり)、銅板葺きの社殿で、寛政11年9月の請負証文のとおりの建物となっています。ただし、三柱の神様を祭っているため、正面は扉が3枚の3戸構えとなっています。一般的な二間社流造は2枚扉となることから、二間社流造に祭神三柱を祭る折衷的な建物となっています。
この社殿には立川流の一般的な社殿にみられる軒唐破風(からはふ)はついていませんが、正面の大きな目抜き竜が目を引きます。また、飛檐垂木(ひえんだるき)に反りをつけているところなどには古風な面も見られます。
彫刻は、先に述べた正面の目抜き竜のほか、海老虹梁(えびこうりょう)に波と鯉の彫刻を施し、手挟みには牡丹(ぼたん)の丸彫り、母屋の三手先組物の中備に菊水・兎・亀を彫刻しています。さらに、脇障子には竹林の七賢、妻飾りに鶴・鳳凰(ほうおう)・麒麟(きりん)が彫られています。中でも、目抜き竜・竹林の七賢の彫りは見事であり、立川富棟の作と推定されます。
社殿全体の構成はダイナミックで、立川流前期の作品としても先述の諏訪大社下社秋宮幣拝殿や矢彦神社拝殿につぐ代表作といえます。このページのトップに戻る


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