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高橋家住宅

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)たかはしけ じゅうたく

  • 指定等区分 松本市重要文化財
  • 指定年月日 昭和44年(1969年)7月4日
  • 種別 建造物
  • 所在地 松本市開智2-9-10
  • 所有者 松本市
  • 時代区分 江戸時代

松本城下町に現存する貴重な武家住宅

高橋家住宅は、松本市内に現存する数少ない武家住宅のひとつです。

高橋家は、美濃国加納(現在の岐阜県岐阜市)で戸田家に召し抱えられてから、代々戸田家に仕えていました。享保(きょうほう)11年(1726年)に、志摩国鳥羽(しまのくにとば 現在の三重県鳥羽市)から戸田光慈(みつちか)が松本藩主として移ってきますが、その時に藩主に従って松本に移り住みました。

この建物は、松本藩が藩士の住まいとして所有していた、いわば官舎でした。はっきりとした建築年代はわかっていませんが、高橋家のある徒士町(おかちまち)ができた17世紀前半から、高橋家が移ってきた享保11年(1726年)までの間に建てられたものです。建物の特徴からも江戸時代中期のものと考えられています。現存する武家住宅としては、旧松本藩内はもとより、長野県内でも最も古い時期の建物の一つとされています。こうした貴重な建物であることから、昭和44年(1969年)に松本市重要文化財に指定されています。

敷地は間口約7間半(13m)、奥行約26間(47m 現在公開している部分は北側の半分)で、南北に細長い形をしています。建物主屋部分は、間口約6間半(11.6m)、奥行4間半(8.2m)の大きさです。建物の間口は、以前は7間でしたが、昭和20年代に東側に通路を作った際に、半間縮められています。間取りはげんかんを入ったところにとりつぎの間があり、この奥に田の字型に4部屋が配置されています。この4部屋の東側にだいどころと通り土間が設けられています。

部屋が田の字型に配置される間取りは、農家にも見られるものですが、中床や押し入れがつく点や、げんかんにとりつぎの間がある点で民家とは大きく異なっています。

建築年代に関係する特徴としては、田の字型の部屋境にも1間毎に柱が設けられている点(ふすまの中央に柱が立っています)、軒高が低い点があげられ、ともに江戸時代としては古い特徴を示すものとされています。

平成16年、故高橋桂三氏から松本市へ建物が寄附され、これを受けて松本市では、建物の復元修理を行い、博物館施設として活用を図ることとし、平成19年度~20年度にかけて修理工事を実施しました。

平成21年5月2日から、松本市立博物館の分館として一般公開されています。

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