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南方諏訪神社本殿

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)みなみがたすわじんじゃ ほんでん

  • 指定等区分 松本市重要文化財
  • 指定年月日 平成29年3月29日
  • 種別 建造物
  • 所在地 松本市入山辺7511
  • 所有者 南方諏訪神社
  • 時代区分 江戸時代

高い技術の伝播を伝える社殿

南方諏訪神社は、建御名方命(たけみなかたのみこと)、手力男命(たぢからおのみこと)を祭神としており、創建は長禄年間(1457年-1460年) と伝えられています。近世以降には白山大権現から戸隠大権現、諏訪神社へと移り変わってきました。現在、境内地には本殿、幣殿(祝詞殿)、拝殿、神楽殿、宝蔵が配されており、本殿・幣殿(祝詞殿)・拝殿は一体となっています。本殿は一間社流造、茅葺き屋根の社殿で、江戸時代中期に建設された神社本殿の好例といえます。本殿内部は中央に結界を設け、丸柱を半割にした柱を左右に立て両開き戸とし、手前を外陣、奥を内陣としています。さらに手前を向拝(こうはい)とし、階(きざはし)を設け、周囲に浜縁(はまえん)を配しています。
現在の本殿の建設に関係する棟札は、宝暦2年(1752年)の建替に関するものです。向拝の水引虹梁(みずひきこうりょう)や頭貫木鼻(かしらぬききばな)の渦や若葉などはこの年代の特徴を示しており、建物の様式と棟札の年代が一致することから、本殿の建築年は江戸中期の宝暦2 年(1752年)と推定されています。向拝付木鼻の獅子二体の裏面には墨書があり、これらの付木鼻(獅子・獏)は公儀彫物師(幕府に仕えた彫物師)として知られる高松頼品の作品であり、明和7 年(1770年)に付加したことがわかります。その制作経緯は定かではありませんが、彫物師の活動を介した高い技術の伝播があったことが推測されます。

松本の神社本殿において、南方諏訪神社と同様の形式を伝える社殿は里山辺小松の八坂神社本殿(延享2年(1744年)再建・松本市重要文化財)だけであり、その建築的価値は高いものです。八坂神社本殿とは、社殿の形式だけでなく建築年代や建替時の大工なども類似しており、松本における神社本殿の発展を知るうえでの高い資料性を有しています。
なお、内陣内部に納められている木札23点は、本殿の維持の過程等を伝える重要な史料であるため、南方諏訪神社本殿の附指定を受けています。このページのトップに戻る


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