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松澤家長屋門
(読み方)まつざわけ ながやもん
- 指定等区分 松本市重要文化財
- 指定年月日 平成18年(2006年)3月27日
- 種別 建造物
- 所在地 松本市会田361
- 所有者 松本市
- 時代区分 江戸時代
善光寺街道沿いに建つ長屋門
松澤家は、善光寺道の会田宿(あいだじゅく)から難所立峠(たちとうげ)に至る坂道の途中にあり、街道より後退して長屋門を構え、敷地の南側に石垣と塀を回し、北側に濠と土塁、西側に濠をめぐらしています。
『四賀村誌』によれば、松澤家では天明年間(1781年‐1788年)に寺子屋を開き、書剣・兵法を教えていたとされています。
長屋門は、棟木墨書によると文政10年(1827年)の建築で、間口8間半、奥行3間の木造平屋建、入母屋造、草葺き(平成6年葺替)の建物です、正面は腰下を縦羽目(たてはめ)の板壁とし、与力窓をつけ、内部を土壁としています。通路部分には、大戸が用いられています。間取りは通路左が板張りの9坪、右が土間で6坪の2部屋となっています。いずれの部屋にも天井は設けられていません。
部材に残る痕跡から復元すると、間取りの改造はないものの、もともとは、通路の左右とも土間となっています。正面の窓は、通路の両脇の室は与力窓と板戸となり、通路左端の室は与力窓と竹格子です。
この長屋門の特徴は、まず、草葺きであることです。信州の長屋門は幕末明治期のものは一般的には瓦葺きの長屋門が多く、草葺きのものは多くありません。それは、幕末明治期には長屋門は財力を示すシンボルとして建てられ、当時としては贅沢な瓦葺きが用いられることが多かったためです。また、近世において与力窓は格が落ちるとされていますが、この長屋門ではあえて与力窓を用いています。こうした富の象徴としての長屋門と一線を画する松澤家の長屋門は別の意図から建設されたものと考えられます。
また、通路部分に扉を設けず、1間半の片引きの大戸としている点にも特色があります。信州の長屋門で、通路の建具を大戸としているのは極めて珍しいものです。
このように、松澤家長屋門は、草葺きで与力窓をもち、通路部分の建具に大戸を用いている点に特色があり、また、かつては寺子屋の建物として使われたという由緒は、史跡的なものとしても歴史的意義をもっています。