ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 組織でさがす > 教育委員会 > 文化財課 > 恭倹寺鐘楼並びに梵鐘

本文

恭倹寺鐘楼並びに梵鐘

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)きょうけんじ しょうろう ならびに ぼんしょう

  • 指定等区分 松本市重要文化財
  • 指定年月日 平成19年(2007年)3月30日
  • 種別 建造物及び工芸品
  • 所在地 松本市梓川梓5577
  • 所有者 恭倹寺
  • 時代区分 江戸時代

安住の地を得た鐘楼と梵鐘

鐘楼は、間口奥行とも2.94mの正方形で、柱丈階上1.83m、階下2.53mの二層楼門式です。明治24年(1891年)に、現在の松本市清水に住んでいた飛騨の匠師、山口権造により建てられました。鐘楼のなかでも目を引くのが、見事な桝組(ますぐみ)です。もともとは波田地区にあった若澤寺(にゃくたくじ)のものでした。若澤寺は信濃日光とも言われたほど立派なお寺でしたが、廃仏毀釈によって廃寺となりました。桝組はその部材を譲り受けたもので、手の込んだつくりからも若澤寺の往時がしのばれます。

鐘楼に釣り下げられている梵鐘(ぼんしょう)は高さ約1.14m(3尺7寸6分)、口径0.76m(2尺5寸3分)と大きなものです。この鐘はもともと、千葉県にあった最勝福寺という、上総国(かずさのくに)最古のお寺にあったものです。最勝福寺も廃仏毀釈によって廃寺となり、その時売りに出された梵鐘が転々と売買され、最終的に恭倹寺にたどり着き納められたわけです。これは、鐘楼を造り、鐘で時を告げたいとの願いから音色のよい鐘を求めた念願の結果です。なお、梵鐘は銘文から元禄11年(1698年)に造られたことがわかっており、由緒正しい梵鐘です。このページのトップに戻る


松本市AIチャットボット