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工女宿宝来屋
(読み方)こうじょやど ほうらいや
- 指定等区分 松本市重要文化財
- 指定年月日 平成21年(2009年)12月22日
- 種別 建造物
- 所在地 松本市島立2196-1 松本市歴史の里
- 所有者 松本市
- 時代区分 明治時代
野麦峠のふもとにあった宿
この建物はかつて、松本市奈川地区川浦の、古来信州松本と飛騨高山を結ぶ主要な経済交通路であった旧野麦街道に面した位置にありましたが、昭和58年(1983年)に現在地に移築されました。宝来屋は江戸時代は尾州藩領の旅人宿として、また製糸業が盛んであった明治・大正時代には飛騨高山方面から長野県、特に現在の岡谷・諏訪地方へ製糸労働のため往来した工女の宿でした。
構造は、木造平屋一部2階建、切妻造、妻入りで、屋根は板葺(石置き)です。規模は、桁行8間半(15.3m)、梁間7間半(13.5m)です。建築年代はその様式などから江戸時代後期と推定されます。間取りは乗鞍・御岳高原の農家で一般に使われた形式で、表側の2室は工女宿として宿泊客が増えた明治時代に増築されました。また、土間奥のネベヤと背後の半間分も明治以降に付加されたものとされていますが、目立った改造もなく創建当初の形式が保たれています。
かつて、川浦地区には同様の宿屋が7軒あったとされていますが、明治30年代以降、岡谷・諏訪の大製糸家が県外に進出するようになり、野麦峠を越えてくる飛騨出身の工女がいなくなると宿が不要となりました。さらに昭和9年の国鉄高山線全線開通による交通経路の大幅な変更により客足が途絶え、宝来屋をはじめとした川浦の工女宿も、それぞれ店をたたんだといわれます。
現在は、松本市立博物館分館「松本市歴史の里」の展示資料として、一般公開されています。
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