ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 組織でさがす > 教育委員会 > 文化財課 > 牛伏寺仁王門

本文

牛伏寺仁王門

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)ごふくじ におうもん

  • 指定等区分 松本市重要文化財
  • 指定年月日 昭和44年(1969年)7月4日
  • 種別 建造物
  • 所在地 松本市内田2573
  • 所有者 牛伏寺
  • 時代区分 江戸時代

石段を踏みしめて登れば観音浄土

老杉の間の石段を登りながら見上げると、朱塗りと白壁の白、垂木の小口の白との対比が際立っている仁王門があります。登りつめて上を仰ぐと、上層の軒に中国沙門黄檗杲堂(ちゅうごくしゃもんおうばくこうどう)の「金峯山」、腰組の下に当寺十世栄光法印の「福聚楼」の額が目に入ります。

慶長17年(1612年)、観音堂などとともに焼失したこの仁王門が本格的に再建されたのは、それより114年後の享保11年(1726年)のことです。棟札に「奉建立仁王楼門」とあるように、建築様式は楼門造りです。楼門造りというのは、二階造の門のことで、通例三間一戸といって正面の柱間が三間、側面が二間の規模とし、中央の一間通りを通路に、その両脇の間を設けて仁王像や、神社の場合には随身像を置きます。屋根は入母屋(いりもや)造。初めは、柿葺(こけらぶき)でしたが、瓦葺に変わり、現在は銅板葺になっています。二重垂木の深い軒を三手先の組物で支え、腰組は、はね高欄をめぐらして和様二手先の組物で支えています。階上は扉構えの一室になっています。蟇股(かえるまた)、蓑束(みのづか)、粽(ちまき)つき円柱が用いられ、朱に彩られた装飾性が目立ちます。

現在国の重要文化財に指定されている楼門は、建造年代が鎌倉時代から江戸時代初期にわたるもので、全国各地の密教系の寺院や神社等に数多く所在しています。長野県内には江戸時代のものが数例ありますが、国の指定に該当する楼門はありません。しかし牛伏寺仁王門は、蟇股の脚の絵様、蓑束の形などに独特な意匠が用いられている楼門として、注目されている建造物です。このページのトップに戻る


松本市AIチャットボット