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牛伏寺観音堂

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)ごふくじかんのんどう

  • 指定等区分 松本市重要文化財
  • 指定年月日 昭和44年(1969年)7月4日
  • 種別 建造物
  • 所在地 松本市内田2573
  • 所有者 牛伏寺
  • 時代区分 江戸時代

祈り唱える真言のみ堂

慶長17年(1612年)3月6日の大火により、牛伏寺(ごふくじ)の堂舎僧坊はことごとく炎上し、灰燼と帰しました。この大火から10年後の元和8年(1622年)、観音堂釈迦堂が再建されましたが、このときは暫定的な仮堂に近いものであったようです。再建が本格的に着工してから4年がかりで正徳2年(1712年)に棟上げがおこなわれました。当時村々の檀家から柱材の寄進を求めたり、島立組堀米から大量の榑木(くれき 屋根葺材)を運搬した記録などから建築の大工事の模様をうかがうことができます。

現在の観音堂は、間口五間、奥行四間の入母屋(いりもや)造銅板葺。正面に唐様(からよう)の向拝(こうはい)をつけ、四面に勾欄(こうらん)つきの縁をめぐらしています。内部は格子戸を設けて外陣と内陣とに分けていますが、内陣にはさらに両脇陣が設けてあり、また明治初年には内陣を後方に拡張しているので、平面は凸形になっています。これは他の堂宇の諸仏をこの一堂に安置するための造作であったようです。この後も屋根の葺替えや修理が加えられてきました。

松本平では、松本領内の寺院が明治初年の廃仏毀釈によって多くの廃寺があったりして、江戸時代前期の建造物が非常に少ない中に、当観音堂は密教寺院の特徴を持った堂として、また規模の大きな観音堂として存在価値が大きい建造物です。このページのトップに戻る


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