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千鹿頭神社本殿
(読み方)ちかとうじんじゃ ほんでん
- 指定等区分 松本市重要文化財
- 指定年月日 平成7年(1995年)4月28日
- 種別 建造物
- 所在地 松本市神田1-887
- 所有者 千鹿頭神社
- 時代区分 江戸時代
諏訪の工匠による一間社流造の社殿
松本藩領から高島藩領へ
千鹿頭(ちかとう)神社は千鹿頭神を祀(まつ)り、神田地区の産土神(うぶすながみ)として崇敬されている旧郷社です。
千鹿頭神社のある神田地区は、近世のはじめまで松本藩領でしたが、元和4年(1618年)からはこの神社のある千鹿頭山の尾根から南側が高島藩領、北が松本藩領となり、尾根が両藩領の境となりました。したがって、それまでは一社であった社殿を現在のように両藩境に神田側と里山辺林側の本殿が並立することになったとみられます。
境内の建物配置は、千鹿頭山の頂上に本殿と拝殿があり、ふもとの千鹿頭池のほとりに宝蔵があります。
高島城主の寄進により建立
本殿の形式は、一間社流造(いっけんしゃながれづくり)、銅板葺、(もと茅葺)の社殿で、高島城主諏訪忠虎の寄進により建てられたものです。正徳4年(1714年)に造営が始まり、翌5年6月に竣工しています。大工棟梁は、柴宮村(現岡谷市長地東堀)の渡辺元右衛門で、元右衛門は朝日村の五社神社本殿、岡谷市小尾口の津島社などを造営しています。
この本殿は、随所に17世紀末から18世紀前期の諏訪工匠による建築様式がよく示されており、隣接する千鹿頭社本殿は18世紀中期の松本工匠の様式を示していて好対象です。また、この時期の諏訪地方の大工の技法を知るうえで、工匠名や出身地、建築年代が明確であり、貴重な遺構といえます。さらに、高島藩領と松本藩領の境に併置して社殿が設けられるという極めて特異な形態は、近世の松本地方の歴史的環境を知るうえでも重要な遺構です。