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浅間温泉天満宮本殿

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)あさまおんせん てんまんぐう ほんでん

  • 指定等区分 松本市重要文化財
  • 指定年月日 平成11年(1999年)3月4日
  • 種別 建造物
  • 所在地 松本市浅間温泉1173-2
  • 所有者 天満宮
  • 時代区分 江戸時代

松本藩に守られた天満宮

浅間温泉天満宮は、松本城主の入湯所であった御殿の湯の東側にある御殿山中腹にあります。この神社は松本城主水野氏が勧請(かんじょう)した社で、明治16(1883年)年に記された『二木実録年代記』によれば万治2年(1659年)の創建とされています。また、明治3年の『諸社委詳取調書上』には江戸時代には松本藩が20年毎に修理を行っていたと書いてあります。
本殿は間口5尺の規模の一間社流造(いっけんしゃながれづくり)・銅板葺の社殿で、向拝(こうはい)内に高い床を設けた見世棚(みせだな)造りの形式となっています。昭和62(1987年)年に修理が行われ、屋根葺替え、土間取替え、柱根継ぎ、縁長押取替えなどが行われていますが、それ以外の場所では創建当時の部材をよく残しています。
当時の部材には彩色がよく残っており、胡粉・朱・黒・茶・緑青などで全体が塗られていたことがわかります。このように見世棚造りという簡素な形式でありながら彩色を施すのは、信州では江戸中期までの特色です。
さらに特徴的な点としては、虹梁(こうりょう)上に扠首(さす)を組み、斗(ます)を置いた形式の妻飾りを持っている点です。通常、扠首は豕扠首(いのこさす)という形式で、合掌形に組んだ材の頂点から垂直に扠首束(さすつか)という材を立てるのですが、この社殿は扠首束が省略され、合掌形に組んだ材のみの扠首となっているため、軽快な印象のつくりとなっています。
このほか、本殿の向拝の蟇股(かえるまた)の輪郭や、海老虹梁(えびこうりょう)の渦の絵様などは塩尻市の小野神社と共通する技法です。小野神社の大工棟梁は松本藩大工頭の中村四郎右衛門であったので、この天満宮本殿も中村四郎右衛門が建てたと考えられます。このページのトップに戻る


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