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追儺面

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)ついなめん

  • 指定等区分 松本市重要文化財
  • 指定年月日 昭和37年8月31日
  • 種別 工芸品
  • 所在地 松本市内田2573
  • 所有者 牛伏寺
  • 時代区分 安土・桃山時代~江戸時代

追儺(ついな)面の鬼をたたき伏せる追儺祭り

豪壮な追儺面

牛伏寺(ごふくじ)の追儺面は、その裏面に永禄10年12月26日(1568年)の墨書と、梵字(ぼんじ)の「きや」が書かれています。この墨書が悪鬼を払って駆逐することから、すでに永禄年間(1558年~70年)に使われていたことがわかります。
保存されている追儺面は、赤鬼と青鬼の木造の2面です。赤鬼の面が朱漆で塗られ、青鬼の面は彩色が剥落して、眼部と牙部に漆箔が塗られた痕跡が認められます。2面とも豪壮な彫りがみられ、大型で価値観のあるものとされています。なお、追儺面には次のような墨書が残されています。

赤鬼面裏面

  • [右側]梵字(きや) 奉寄進[ ]
  • [左側] 敬白 武運長久 主
  • 于時永禄十稔丁卯十二月廿六日
  • [面寸法] 面径25cm、面長30cm、面奥9cm

青鬼面裏面

  • [右側] 梵字(きや) 奉造
  • [左側] 永禄十年丁卯十二月廿六日
  • [面寸法] 面径27cm、面長30cm、面奥9cm

厄除(やくよけ)行事の追儺(ついな)祭り

昔、近在の厄年の男女が、正月七日の夕刻から、牛伏寺の厄除け参りに集まりました。観音堂前の庭に大かがり火をたき、読経が始まるころには、庭に追儺面をつけた赤鬼と青鬼が現れます。
厄年の人々が、火をつけた松明(たいまつ)を持って、逃げまわる赤鬼と青鬼を追いまわしました。最後に追いつめられた鬼が、たたき伏せられ、厄病神が払われました。これが厄除行事におこなわれた追儺祭りで、そのときに保存されている赤鬼と青鬼の追儺面が使用されたのです。
なお、牛伏寺の追儺祭りの様子は、天保14年(1843年)に刊行された『善光寺道名所図会(ずえ)』に「例年正月七日、転読大般若、同夜戌乃刻、追儺の祭とて厄年の者ども麦藁炬を多く取持て、鬼を追の式あり。鬼二人、銕杖を持、先へ幣を担ぎ、鬼の後に大太刀を持て、戦のさま烈し。雪中に大篝を焚並て、白昼の如くなるに、童男童女群参して一山震動せり」と述べられています。このページのトップに戻る


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