ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 組織でさがす > 教育委員会 > 文化財課 > 生安寺の木造地蔵菩薩半跏像

本文

生安寺の木造地蔵菩薩半跏像

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)しょうあんじ の もくぞう じぞうぼさつ はんかぞう

  • 指定等区分 松本市重要文化財
  • 指定年月日 平成30年(2018年)2月23日
  • 種別 歴史資料
  • 所在地 松本市蟻ヶ崎4-5-39 (生安寺)
  • 所有者 生安寺
  • 時代区分 江戸時代(1788年)作

江戸の仏師・竹崎石見によって作られた地蔵菩薩

 天明8年(1788年)、江戸の仏師で祐天寺の仏像を多く制作した竹崎石見による作で、寛政9年(1797年)に祐天寺六世・全祐によって松本本町の光明院へ奉納されました。像高46.0センチメートル、寄木造で彩色を施しています。松本藩主水野忠周(ただちか)は若い時から仏教に関心があり、高僧・祐天上人の教えに深く感銘を受け、子孫にも祐天の法系を師とするようにとの記述がみられます。享保3年(1718年)、祐天上人が亡くなると忠周の夢枕に現れ、自分の本地は地蔵菩薩であると語ったとされています。このできごとが発端となり、80年後光明院の地蔵菩薩像が祐天寺に遷座(せんざ)し、代わりに本像が光明院に遷されました。明治の廃仏毀釈で光明院が廃されて以降所在不明となっていましたが、平成28年に生安寺で所在が確認されました。像に残る制作者や年号の墨書等は『江戸名所図会』等の記載とも一致しています。
 この仏像は作者・制作年代・来歴がはっきりしており、仏像を巡る特異な伝承や多くの文献の存在から、松本藩主(水野氏)や江戸祐天寺と松本光明院とのかかわり、仏像を信仰した松本や江戸の人々の歴史を語る上で貴重なものといえます。このページのトップに戻る


松本市AIチャットボット